通州事件の捜査ファイル…封殺された虐殺70周年
シナ人兵が暴虐の限りを尽くした通州事件から70年から経った。女性や子供までもが標的となった虐殺の現場とは…シナ人特有の非道な殺害手法は南京の捏造宣伝を解き明かす。
支那駐屯歩兵第二連隊の桜井文雄小隊長は、信じられない光景を目の当たりにした。
「『日本人は居ないか』と連呼しながら各戸毎に調査してゆくと、鼻に牛の如く針金を通された子供や、片腕を切られた老婆、腹部を銃剣で刺された妊婦等の屍体がそこここの埃箱の中や壕の中などから続々出てきた。
ある飲食店では一家ことごとく首と両手を切断され惨殺されていた。婦人という婦人は十四、五歳以上はことごとく強姦されて居り、全く見るに忍びなかった」
これは兵士が垣間見た惨状のごく一部である。
盧溝橋事件から約3週間後にあたる昭和12年7月29日、シナ人による凄惨極まりない日本人虐殺が起きた。歴史教科書から抹殺された通州事件である。
日本人約380人が暮らしていた狭いエリアの中で、実に260人が犠牲となった…
武装したシナ人の群れは、駐屯する我が軍の関係施設を攻撃しただけでは収まらず、居留民の家をすべて襲撃。略奪・陵辱・惨殺など残虐の限りを尽くした。人のなせる業ではない。
それらの残忍な行為は、中共が捏造する虐殺ストーリーと重なる。つまり、戦後に脚色した“南京の惨劇”なるものが、シナ人の処刑スタイルそのままであることを皮肉にも浮かび上がらせる…
【本当の“屠城”は通州城にあった】
通州は現在、北京市内の一区であるが、事件当時は別の行政区であった。位置は、北京中心部から約20キロの地点だ。
通州は古くからある街だが、事件が起きたのはごく限られたエリア内だった。城壁に囲まれた通州城の中で悪鬼のごとき残虐行為が長時間に渡って繰り広げられたのだ。
▽通州城内の地図(『大東亜戦争への道』より)
中共は南京捏造ストーリーで「屠城」なる言葉を用い、でたらめな宣伝を続けている。城門を閉じ、その内部で殺戮が行なわれたとする物語だ。だが、実際の「屠城」とは正に通州城の中で起きていた。
更に、記録から修羅場を俯瞰してみよう…
事件発生翌日の7月30日午後、現場に入った天津歩兵隊の萱島隊長は、こう語っている。
「旭軒(注:飲食店)では四十から十七~八歳までの女七~八名が皆強姦され、裸体で陰部を露出したまま射殺されて居り、その中四、五名は陰部を銃剣で突刺されていた。
商館や役所に残された日本人男児の屍体は殆どすべてが首に縄をつけて引き回した後があり、血潮は壁に散布し、言語に絶したものだった」
とりわけ凄惨を極めたのが、通州城北門近くにあった旅館・近水楼だったという。第二連隊歩兵隊の桂鎮雄隊長代理は、数少ない目撃者だった。
▽通州城内北東エリア(『大東亜戦争への道』より)
「近水楼入口で女将のらしき人の屍体を見た。足を入口に向け、顔だけに新聞紙がかけてあった。本人は相当に抵抗したらしく、きものは寝たうえで剥がされたらしく、上半身も下半身も暴露し、四つ五つ銃剣で突き刺した跡があったと記憶する。陰部は刃物でえぐられたらしく血痕が散乱していた。
帳場や配膳室は足の踏み場もない程散乱し、掠奪の跡をまざまざと示していた。女中部屋に女中らしき日本婦人の四つの屍体があり、全部もがいて死んだようだった」
【シナ人特有の猟奇的な殺害方法】
また桂鎮雄隊長代理は、猟奇的な殺害の跡も目撃している。
「一年前に行ったことのあるカフェーでは、縄で絞殺された素っ裸の女の屍体があった。その裏の日本人の家では親子二人が惨殺されていた。子供は手の指を揃えて切断されていた。
南城門近くの日本人商店では、主人らしき人の屍体が路上に放置してあったが、胸腹の骨が露出し、内蔵が散乱していた」
内蔵引き出しや陰部突刺などはシナ人特有の残虐な処刑スタイルだろう。その中でも特異な「胸腹部断ち割り」という残虐な殺害方法を前述の桜井小隊長が目撃している。
「陰部に箒(ほうき)を押し込んである者、口中に土砂をつめてある者、腹を縦に断ち割ってある者等、見るに耐えなかった。
東門近くの池には、首を縄で縛り、両手を合わせてそれに八番鉄線を貫き通し、一家六名数珠つなぎにして引き回された形跡歴然たる死体があった。池の水は血で赤く染まっていたのを目撃した」
数珠繋ぎにして引き回した上での殺害は、各所で行なわれていた。旅館・近水楼でも女中ら殺戮のあと十数人の男女従業員と宿泊客が麻縄で繋がれ、銃殺場に連行された。
その日本人大量処刑の模様は、発生直後には確認できなかったが、当日偶々宿泊していた同盟通信社の安藤利男特派員が命からがら城外へ脱出。後日になって蛮行が明らかになった。
しかし、なぜ安全だった筈の日本人居留地でシナ人武装勢力の蛮行を許してしまったのか。誰も虐殺の嵐を食い止める者は居なかったのか…
そこに通州事件の計画性を見て取ることが出来る。
【不安定だった北支の勢力地図】
日本人居留民を襲ったのは国民党軍ではなく、冀東防共自治政府の保安隊と武装した黒服の学生団だった。当時の華北の状況は複雑だが、それが事件を引き起こす重要な背景でもあった。
満州事変は昭和8年5月の塘古(タンクー)停戦協定をもって紛争状態に一応の終止符を打つ。これによって満支の境界が明確になる一方、広大な非戦区(緩衝地帯)が設けられた。
▽満州国南部に広がる緩衝地帯(前掲書より)
国民党にしても北支の軍閥を抑え切れず、極めて不安定な状況だったのだ。その中で昭和10年11月、非戦区内地域の実力者で日本寄りの殷汝耕(いん・じょこう)が通州で自治宣言を発表。年末には冀東防共自治政府が誕生する。
通州のすぐ西側には冀察政権。冀察とは河北省と察哈爾(チャハル)省を指す。ちなみにチャハルはモンゴル人の有力部族である。
▽冀察・冀東政権の支配地域(前掲書より)
この冀察政権(政務委員会)は、南京政府の行政院直属機関であったが蒋介石の影響力は弱く、かつて馮玉祥の部下だった宋哲元(そう・てつげん)が支配していた。
そうした政情不安な北支で盧溝橋事件が起き、地域は一気に騒然となった…
通州事件直前の7月25日、26日には我が軍への攻撃が相次ぐなど一部で戦闘が勃発。廊坊・広安門事件である。そして28日には天津で大規模な衝突も発生。通州の日本守備隊も北平(現・北京)南部の南苑に主力を送っていた。
通州城一帯に残っていたのは、藤尾小隊40人、山田自動車中隊50人などで、憲兵を加えても110人程度だった。
「武力の空白」が生まれていたのだ…
【10倍規模の兵力が未明に襲撃】
7月29日未明、冀東防共自治政府の保安隊が通州城内の日本軍民に突如、攻撃を仕掛けてきた。奇襲である。しかも保安隊は本来、友軍に等しい存在だった。隙をついた“寝返り”である。
保安隊はまず長官公署を襲い、親日派とされる殷汝耕を拉致。続いて残留する守備隊に集中砲火を浴びせた。その時、守備隊には重火器がなく、軽機関銃・小銃・手投げ弾などがあるのみだった。
襲撃してきた保安隊は千数百人の兵員規模を有し、また重装備でもあった。冀東保安隊は設立以来、機関銃や野砲まで備え、保安隊という名称からは想像できない程の戦闘能力を備えていたのだ。
日本守備隊は敢然と応戦したが、10倍規模の武装勢力を前になす術なく、居留民を守ることは到底不可能であった。また城内には通州特務機関のメンバーもいたが、一個中隊規模の保安隊兵に襲撃され、2人の少年給仕を含む機関員全員が壮絶な最期を遂げた。
▽守備隊本部があった城内西部(前掲書より)
居留民を守る勢力が壊滅する中、シナ人兵は城内で蛮行の限りを尽くしたのである。修羅場から脱出できた者はごく僅かで、正に「屠城」と呼ぶに相応しい光景であった。
日本守備隊の主力が奇襲攻撃を知って通州城に帰還したのは、発生から丸一日が経過した30日で、時すでに遅く、城内には目を覆う惨状が広がっていた…
戦後の歴史からは抹殺された通州事件だが、当時は陰惨な事件の概要が国内に伝わるや、日本国民は憤慨し「シナ討つべし」の世論が澎湃と巻き起こったという。
無抵抗の婦女子までを残忍に殺害したこの事件が、その後の日支紛争に与えた影響は大きい。
一方で、なぜ友軍であったはずの冀東保安隊が、日本居留民を襲撃するに至ったのか?
【事件は計画的な叛乱だった】
通州事件は、冀東保安隊の兵舎が日本軍機によって誤爆されたのを受けて叛乱を起こした、との説がかつては有力だったという。シナ人の蛮行をも日本の責任にする自虐史観だ。
事件2日前の7月27日に誤爆が発生している。通州の宝通寺エリアには第二十九軍の部隊が常駐していた。我が軍は宝通寺部隊一掃のため攻撃を加えたが、その際、支援に来た関東軍の爆撃機が誤って冀東保安隊幹部訓練所に爆弾を投下。数名の犠牲者を出す不幸な事態が起きた。
しかし、誤爆を知った通州特務機関の細木機関長は、冀東政府の殷汝耕を訪ねて陳謝。さらに誤爆現場に急行して弔意を示し、28日には保安隊幹部に対し状況を説明・釈明し、慰撫に務めている。
この誤爆が大規模な組織的行動に繋がったとする説は元々根拠が薄かったが、戦後になってシナ側の資料で準備周到な蜂起であることが判明した。
冀東保安隊第一総隊の張慶餘(ちょう・けいじょ)は『冀東保安隊通県始末記』などで、事件が第一総隊と第二総隊(総長・張硯田) による計画的行動だったことを明かしているという。
▽後に中将まで出世した宋哲元(ウィキペディア)
保安隊のトップは明代からの秘密結社・哥老会(かろうかい)を通じて冀察の宋哲元と極秘会談を行い、叛乱の機会を窺っていたのだ。
また同時に、国民党の謀略宣伝機関「南京放送」が繰り返し、日本軍壊滅の偽情報を流していたことも一般兵員の動揺を誘ったと見られている。
我が軍が冀東保安隊内部の不穏な動きを察知できていなかったことは、明らかなミスだ。しかし、華北の状況が不安定である事実は周知だった。それは他方で、偶発的に盧溝橋事件で紛争に巻き込まれたことを逆説的に裏付けているだろう。
【通州を知れば南京の嘘が見える】
我が国の有志の中でも、南京を語る際に、反論の手段として通州事件を取り上げるケースが見受けられる。シナ人兵の鬼畜ぶりを物語る通州事件をもって、南京捏造宣伝を迎撃するものだ。
しかし、南京と通州はまったく次元が異なっている。
南京攻略戦は正規軍による一大首都決戦であり、戦争史に残る激烈な城塞陥落であった。一方で通州事件は、隙をついた叛乱兵による残虐な事件である。
「通州事件があったから南京事件が起きた」とする意見は、敵側捏造宣伝の土俵に乗るものだろう。
▽グーグルで見る現在の通州城エリア
通州事件の“重要性”は、そこに垣間見られた猟奇的な良民殺害の手法だ。南京プロパガンダで振りまく“日本鬼子”の所業なるものは、すべて通州において表面化していたものだった。
例えば「鼻に針金を通して引き回す」などの蛮行は、旧来の我が軍にはないもので、シナ人の伝統的な陵辱スタイルであることは明確だ。中共は南京捏造で様々な「残虐性」を考案しているが、それらはシナ人の伝統に源している。
南京の捏造残虐ストーリーとは、通州事件で実際に起きた惨劇の裏返しだ。そのモデルケースとして、すべては通州で“再現”されていた…
通州事件の惨劇を知ることは、南京プロパガンダの嘘を透視するうえで極めて重要である。
〆
最後まで読んで頂き有り難うございます♪
クリック1つが敵に浴びせる銃弾1発 となります
↓

***************
【side story】
本エントリは中村粲著『大東亜戦争への道』(1990年転展社刊)に全面的に依拠しています。本文内では引用ページを記しませんでしたが、同書「第11章 北支をめぐる日華関係」「第13章 盧溝橋事件の真相」を参考にしています。
参照:
支那事変「 廊坊事件・通州事件」
真中行造氏HP『通州事件・南京事件・尼港(ニコウ)事件その他』
誰か昭和を思わざる『惨たるかな通州事件』
支那駐屯歩兵第二連隊の桜井文雄小隊長は、信じられない光景を目の当たりにした。
「『日本人は居ないか』と連呼しながら各戸毎に調査してゆくと、鼻に牛の如く針金を通された子供や、片腕を切られた老婆、腹部を銃剣で刺された妊婦等の屍体がそこここの埃箱の中や壕の中などから続々出てきた。
ある飲食店では一家ことごとく首と両手を切断され惨殺されていた。婦人という婦人は十四、五歳以上はことごとく強姦されて居り、全く見るに忍びなかった」
これは兵士が垣間見た惨状のごく一部である。
盧溝橋事件から約3週間後にあたる昭和12年7月29日、シナ人による凄惨極まりない日本人虐殺が起きた。歴史教科書から抹殺された通州事件である。
日本人約380人が暮らしていた狭いエリアの中で、実に260人が犠牲となった…
武装したシナ人の群れは、駐屯する我が軍の関係施設を攻撃しただけでは収まらず、居留民の家をすべて襲撃。略奪・陵辱・惨殺など残虐の限りを尽くした。人のなせる業ではない。
それらの残忍な行為は、中共が捏造する虐殺ストーリーと重なる。つまり、戦後に脚色した“南京の惨劇”なるものが、シナ人の処刑スタイルそのままであることを皮肉にも浮かび上がらせる…
【本当の“屠城”は通州城にあった】
通州は現在、北京市内の一区であるが、事件当時は別の行政区であった。位置は、北京中心部から約20キロの地点だ。
通州は古くからある街だが、事件が起きたのはごく限られたエリア内だった。城壁に囲まれた通州城の中で悪鬼のごとき残虐行為が長時間に渡って繰り広げられたのだ。
▽通州城内の地図(『大東亜戦争への道』より)
中共は南京捏造ストーリーで「屠城」なる言葉を用い、でたらめな宣伝を続けている。城門を閉じ、その内部で殺戮が行なわれたとする物語だ。だが、実際の「屠城」とは正に通州城の中で起きていた。
更に、記録から修羅場を俯瞰してみよう…
事件発生翌日の7月30日午後、現場に入った天津歩兵隊の萱島隊長は、こう語っている。
「旭軒(注:飲食店)では四十から十七~八歳までの女七~八名が皆強姦され、裸体で陰部を露出したまま射殺されて居り、その中四、五名は陰部を銃剣で突刺されていた。
商館や役所に残された日本人男児の屍体は殆どすべてが首に縄をつけて引き回した後があり、血潮は壁に散布し、言語に絶したものだった」
とりわけ凄惨を極めたのが、通州城北門近くにあった旅館・近水楼だったという。第二連隊歩兵隊の桂鎮雄隊長代理は、数少ない目撃者だった。
▽通州城内北東エリア(『大東亜戦争への道』より)
「近水楼入口で女将のらしき人の屍体を見た。足を入口に向け、顔だけに新聞紙がかけてあった。本人は相当に抵抗したらしく、きものは寝たうえで剥がされたらしく、上半身も下半身も暴露し、四つ五つ銃剣で突き刺した跡があったと記憶する。陰部は刃物でえぐられたらしく血痕が散乱していた。
帳場や配膳室は足の踏み場もない程散乱し、掠奪の跡をまざまざと示していた。女中部屋に女中らしき日本婦人の四つの屍体があり、全部もがいて死んだようだった」
【シナ人特有の猟奇的な殺害方法】
また桂鎮雄隊長代理は、猟奇的な殺害の跡も目撃している。
「一年前に行ったことのあるカフェーでは、縄で絞殺された素っ裸の女の屍体があった。その裏の日本人の家では親子二人が惨殺されていた。子供は手の指を揃えて切断されていた。
南城門近くの日本人商店では、主人らしき人の屍体が路上に放置してあったが、胸腹の骨が露出し、内蔵が散乱していた」
内蔵引き出しや陰部突刺などはシナ人特有の残虐な処刑スタイルだろう。その中でも特異な「胸腹部断ち割り」という残虐な殺害方法を前述の桜井小隊長が目撃している。
「陰部に箒(ほうき)を押し込んである者、口中に土砂をつめてある者、腹を縦に断ち割ってある者等、見るに耐えなかった。
東門近くの池には、首を縄で縛り、両手を合わせてそれに八番鉄線を貫き通し、一家六名数珠つなぎにして引き回された形跡歴然たる死体があった。池の水は血で赤く染まっていたのを目撃した」
数珠繋ぎにして引き回した上での殺害は、各所で行なわれていた。旅館・近水楼でも女中ら殺戮のあと十数人の男女従業員と宿泊客が麻縄で繋がれ、銃殺場に連行された。
その日本人大量処刑の模様は、発生直後には確認できなかったが、当日偶々宿泊していた同盟通信社の安藤利男特派員が命からがら城外へ脱出。後日になって蛮行が明らかになった。
しかし、なぜ安全だった筈の日本人居留地でシナ人武装勢力の蛮行を許してしまったのか。誰も虐殺の嵐を食い止める者は居なかったのか…
そこに通州事件の計画性を見て取ることが出来る。
【不安定だった北支の勢力地図】
日本人居留民を襲ったのは国民党軍ではなく、冀東防共自治政府の保安隊と武装した黒服の学生団だった。当時の華北の状況は複雑だが、それが事件を引き起こす重要な背景でもあった。
満州事変は昭和8年5月の塘古(タンクー)停戦協定をもって紛争状態に一応の終止符を打つ。これによって満支の境界が明確になる一方、広大な非戦区(緩衝地帯)が設けられた。
▽満州国南部に広がる緩衝地帯(前掲書より)
国民党にしても北支の軍閥を抑え切れず、極めて不安定な状況だったのだ。その中で昭和10年11月、非戦区内地域の実力者で日本寄りの殷汝耕(いん・じょこう)が通州で自治宣言を発表。年末には冀東防共自治政府が誕生する。
通州のすぐ西側には冀察政権。冀察とは河北省と察哈爾(チャハル)省を指す。ちなみにチャハルはモンゴル人の有力部族である。
▽冀察・冀東政権の支配地域(前掲書より)
この冀察政権(政務委員会)は、南京政府の行政院直属機関であったが蒋介石の影響力は弱く、かつて馮玉祥の部下だった宋哲元(そう・てつげん)が支配していた。
そうした政情不安な北支で盧溝橋事件が起き、地域は一気に騒然となった…
通州事件直前の7月25日、26日には我が軍への攻撃が相次ぐなど一部で戦闘が勃発。廊坊・広安門事件である。そして28日には天津で大規模な衝突も発生。通州の日本守備隊も北平(現・北京)南部の南苑に主力を送っていた。
通州城一帯に残っていたのは、藤尾小隊40人、山田自動車中隊50人などで、憲兵を加えても110人程度だった。
「武力の空白」が生まれていたのだ…
【10倍規模の兵力が未明に襲撃】
7月29日未明、冀東防共自治政府の保安隊が通州城内の日本軍民に突如、攻撃を仕掛けてきた。奇襲である。しかも保安隊は本来、友軍に等しい存在だった。隙をついた“寝返り”である。
保安隊はまず長官公署を襲い、親日派とされる殷汝耕を拉致。続いて残留する守備隊に集中砲火を浴びせた。その時、守備隊には重火器がなく、軽機関銃・小銃・手投げ弾などがあるのみだった。
襲撃してきた保安隊は千数百人の兵員規模を有し、また重装備でもあった。冀東保安隊は設立以来、機関銃や野砲まで備え、保安隊という名称からは想像できない程の戦闘能力を備えていたのだ。
日本守備隊は敢然と応戦したが、10倍規模の武装勢力を前になす術なく、居留民を守ることは到底不可能であった。また城内には通州特務機関のメンバーもいたが、一個中隊規模の保安隊兵に襲撃され、2人の少年給仕を含む機関員全員が壮絶な最期を遂げた。
▽守備隊本部があった城内西部(前掲書より)
居留民を守る勢力が壊滅する中、シナ人兵は城内で蛮行の限りを尽くしたのである。修羅場から脱出できた者はごく僅かで、正に「屠城」と呼ぶに相応しい光景であった。
日本守備隊の主力が奇襲攻撃を知って通州城に帰還したのは、発生から丸一日が経過した30日で、時すでに遅く、城内には目を覆う惨状が広がっていた…
戦後の歴史からは抹殺された通州事件だが、当時は陰惨な事件の概要が国内に伝わるや、日本国民は憤慨し「シナ討つべし」の世論が澎湃と巻き起こったという。
無抵抗の婦女子までを残忍に殺害したこの事件が、その後の日支紛争に与えた影響は大きい。
一方で、なぜ友軍であったはずの冀東保安隊が、日本居留民を襲撃するに至ったのか?
【事件は計画的な叛乱だった】
通州事件は、冀東保安隊の兵舎が日本軍機によって誤爆されたのを受けて叛乱を起こした、との説がかつては有力だったという。シナ人の蛮行をも日本の責任にする自虐史観だ。
事件2日前の7月27日に誤爆が発生している。通州の宝通寺エリアには第二十九軍の部隊が常駐していた。我が軍は宝通寺部隊一掃のため攻撃を加えたが、その際、支援に来た関東軍の爆撃機が誤って冀東保安隊幹部訓練所に爆弾を投下。数名の犠牲者を出す不幸な事態が起きた。
しかし、誤爆を知った通州特務機関の細木機関長は、冀東政府の殷汝耕を訪ねて陳謝。さらに誤爆現場に急行して弔意を示し、28日には保安隊幹部に対し状況を説明・釈明し、慰撫に務めている。
この誤爆が大規模な組織的行動に繋がったとする説は元々根拠が薄かったが、戦後になってシナ側の資料で準備周到な蜂起であることが判明した。
冀東保安隊第一総隊の張慶餘(ちょう・けいじょ)は『冀東保安隊通県始末記』などで、事件が第一総隊と第二総隊(総長・張硯田) による計画的行動だったことを明かしているという。
▽後に中将まで出世した宋哲元(ウィキペディア)
保安隊のトップは明代からの秘密結社・哥老会(かろうかい)を通じて冀察の宋哲元と極秘会談を行い、叛乱の機会を窺っていたのだ。
また同時に、国民党の謀略宣伝機関「南京放送」が繰り返し、日本軍壊滅の偽情報を流していたことも一般兵員の動揺を誘ったと見られている。
我が軍が冀東保安隊内部の不穏な動きを察知できていなかったことは、明らかなミスだ。しかし、華北の状況が不安定である事実は周知だった。それは他方で、偶発的に盧溝橋事件で紛争に巻き込まれたことを逆説的に裏付けているだろう。
【通州を知れば南京の嘘が見える】
我が国の有志の中でも、南京を語る際に、反論の手段として通州事件を取り上げるケースが見受けられる。シナ人兵の鬼畜ぶりを物語る通州事件をもって、南京捏造宣伝を迎撃するものだ。
しかし、南京と通州はまったく次元が異なっている。
南京攻略戦は正規軍による一大首都決戦であり、戦争史に残る激烈な城塞陥落であった。一方で通州事件は、隙をついた叛乱兵による残虐な事件である。
「通州事件があったから南京事件が起きた」とする意見は、敵側捏造宣伝の土俵に乗るものだろう。
▽グーグルで見る現在の通州城エリア
通州事件の“重要性”は、そこに垣間見られた猟奇的な良民殺害の手法だ。南京プロパガンダで振りまく“日本鬼子”の所業なるものは、すべて通州において表面化していたものだった。
例えば「鼻に針金を通して引き回す」などの蛮行は、旧来の我が軍にはないもので、シナ人の伝統的な陵辱スタイルであることは明確だ。中共は南京捏造で様々な「残虐性」を考案しているが、それらはシナ人の伝統に源している。
南京の捏造残虐ストーリーとは、通州事件で実際に起きた惨劇の裏返しだ。そのモデルケースとして、すべては通州で“再現”されていた…
通州事件の惨劇を知ることは、南京プロパガンダの嘘を透視するうえで極めて重要である。
〆
最後まで読んで頂き有り難うございます♪
クリック1つが敵に浴びせる銃弾1発 となります
↓

***************
【side story】
本エントリは中村粲著『大東亜戦争への道』(1990年転展社刊)に全面的に依拠しています。本文内では引用ページを記しませんでしたが、同書「第11章 北支をめぐる日華関係」「第13章 盧溝橋事件の真相」を参考にしています。
参照:
支那事変「 廊坊事件・通州事件」
真中行造氏HP『通州事件・南京事件・尼港(ニコウ)事件その他』
誰か昭和を思わざる『惨たるかな通州事件』
この記事へのコメント
言葉が見つかりませんね。
これを日本のメディアが報道したらどうなるんだろう?
有り得ない事ではありますが。
どうせ、特アの糞虫も「日帝の捏造」とか言い出すんだろうしなぁ…
なんとかならんか、この状況…
通州事件がここまで残虐非道を極めたものとは…。
火力・兵力ともに絶望的な状況だったにもかかわらず、必死に応戦した皇軍兵士のことや畜生に殺された現地法人の無念さを思うと、このような事件を歴史から抹殺したことは許しがたいですね。
私はこの恐ろしい事件をネットで知りました。去年ぐらいです。
母に聞きましたが、全く知りませんでしたのでとても驚いていました。
この事件が教科書に載らないとは一体どういうことなのでしょう!
犠牲になった日本人の方たちのことを考えるともうなんと言っていいか分かりません。
日本人は、あのような危険で野蛮な所には行ってはいけなかった。福沢諭吉が書いたように全く日本人とは違う。
今はネットがあるので、この事件のことを中学生など学生でも知っている人は増えているようです。増えて欲しいです。
中華自体を今の人は近代国家が存在したと勘違いされますが、昭和10年代には未だ「8馬賊」・匪賊・雑軍が大陸で利権を争って居ました子供の漫画でも沢山有りました。中国の人も日本軍も1馬賊の様に考えて居たんでは無いかと、シナ事変に従軍した叔父も漏らしていました。通州の状況は悲惨なため公開されず、日本軍のみが後始末、結果が「通州事件」が表面に出ず、之の裏返しの「南京事件」が作られる訳ですから公開して置けば~と悔やまれますね。
しかし当時から、日本軍は悲惨な場面や残酷な死亡場面は「不許可」と軍自体が教育も考慮「子供」や「兵士」が見た場合、復讐と言う概念を心配して紙面に出さないようにしていましたが、それを今のマスコミは「弾圧」と呼んでいる気が致します。
戦後レジームとは、朝日新聞が戦前に為した、(中国共産党と結んでの)戦意高揚報道の責任逃れの為に現出された自虐世界観であり、朝鮮人の、植民地支配されて強制連行されて来た可哀想な民族と言う虚構史によるものに思えて仕方がないのです。朝日を潰すのは現実的でないと仰るだめ狼様。でも、トヨタや本田が相手じゃない。生殺与奪の権限は政府にあります。殺せなくても決定的なダメージ位与えられないものですか?日本国の閉塞感は自民党が原因と言うより、朝鮮人が巣くう朝日の存在が主因に思えて仕方がないです。サヨク野党は朝鮮利益代弁党にしか見えない私です。他に行けないのです。
戦中、日本人が中国人一家を虐殺した、という話を聞かされました。
その虐殺のやり方というのが、母親を強姦した後、子供の前で木に逆さ吊りし、陰部に花をさして酒盛りする、という非道なものでした。
その講演者は、「日本の兵隊さんにも子供がいる。帰国すれば自分の子供は可愛がるのに」などと、憤りつつ言っていた。
それを聞いて、心の底から悲しくなったが、結局中国人のやったような仕業を日本兵になすりつけていたんですね。
許せない!
しかしそれにつけても中共の「愛国教育」により培養されたエートス・シニカがすでに満々とその水位を高め噴出する機会を待っているかと思うと心底恐怖を覚えます。その「言語表現」がわが国土で大規模に再現される日が絶対にないことを祈るばかりです。
反日ファシズムを打倒せよ!
この通州事件は、左翼歴史学者にとって表に出せない歴史ですね。
教科書、年表等では抹殺、または歪曲しているから、殆どの方は知らない。
その理由は明白です。
戦前の日本は「一方的に侵略した絶対悪」 という左翼史観が壊れるからですね。
この事件は簡単に申さば、
「シナ人による日本人大量虐殺事件」 でありますから。
第二次上海事変に至っては、本末転倒の結果が書かれています。
おそろしや、左翼歴史学者。
通州事件を伝える新聞記事
読売新聞
http://www.um.u-tokyo.ac.jp/umdb/newspaper1000/jpeg-s/01111.jpg
東京朝日新聞
http://www.um.u-tokyo.ac.jp/umdb/newspaper1000/jpeg-s/02754.jpg
ここに来る方々なら、名前と概要くらすいはご存知だろうと思います。ただ、私もここまで詳しく調べたことはありません。ありがとうこざいます。
当時の日本(大日本帝国)は冀東防共自治政府と国民党政府に対して、盧溝橋と通州でおきたことを公表した上で宣戦布告すべきだった、といまさらながら思います。
「通州を知れば南京の嘘が見える」・・・なるほどと思いました。
誤解を覚悟で言いますと、通州事件をいかに使うかですね。
南京事件の反論として使うというより、支那人の処刑方法、残虐非道な行為の内容に彼らの文化が現れており、それと日本人の文化からくる処刑方法などを比べれば、「南京大虐殺」のウソが浮き上がってくるということですね。
これだけでも本一冊くらいにはなりますね。
最近思うのですが、”捏造超大国・シナ”は食えたものではないが、それ以上に、捏造にいとも容易く乗せられる日本人が何と多いことか!
手口を変えた振り込め詐欺が後を絶たないのと同根なのでしょうね。
南京のプロパガンダをするときに、自分たちの基準で語るから日本人から見て無理があるのですね。
東条英機が書いたといわれる戦陣訓も、こういった日中戦争での、シナ軍に捕虜にされた日本軍兵士への残虐な扱いを聴いて、元勲山県有朋が、生きて虜囚の辱めを受けるべからずと云ったのを元にして居るそうです、つまり「捕まったら悲惨な死に方を強要されるのは100%見えているのだから、捕まりそうになる戦況なら、自決しても良い」ということです。
中国では 今でも 「人肉」を食べる習慣があるそうです。 詳しくはサイト「 中国人のテロ伝統 」を是非見て下さい。 また 朝鮮でも 「胎盤」を食べるのは 当たり前らしいです。出産後の 後産(出てきた胎盤)はモッタイナイから 食べちゃうそうです。滋養強壮に良いそうです。
そう言う意味から、憲法9条があれば=非戦に徹すれば=端から降伏すれば、敵が侵略や残虐行為を止めると主張する輩は、平和主義云々ではなく、日本民族絶滅を画策している工作員レベルの連中であると見做すべきなのです、シナ人の殺人を楽しむが如き残虐性に変わりがないのは、博多の中華料理店一家の皆殺しで明らかでしょう。
そういうシナ人を3000人も誘致しようと云う民主党を、目先の「生活」の為に大勝ちさせたのですから、私は何も民主党支持者には期待しないことにしました。
ネットには、あの一家惨殺事件で、母親の殺し方が、中国伝統の殺人ゲーム・少しづつ身体を切り落として、絶命させた方が負け・だった形跡があるとかいう話も出回ってますね。 今も支那人の残虐性は全く変わっていないと確信しています。
媚中政治家は死んだ方が良い、
自民が信用ならないからといって安易に民主党に票入れたヤツは恥じるべき。
つい最近でも中国のチワン自治区で1万7千人以上に不妊手術強制してたことに対する暴動がおこったばかり、
http://www.sankei.co.jp/kokusai/china/070523/chn070523000.htm
自国で現在進行形で行われてる非道を隠し棚に上げて、金の為に嘘をついて日本を貶める。
こんな国と友好なんぞ出来る訳がない。
与えても奪うことしか考えない人間にはそれなりの何かが待ち受けている。因果応報、林真理子のエッセイにあったが「人は必ず自分の過去に復讐される、忘れた頃に」とある。
先人達の苦労や願いを忘れ己の利益しか考えず反日宣伝活動に協力した輩に本当に天罰が下ってほしい。
投稿時期がバッティングしてますね、スミマセン。
それをはるかに上回る
米国の原爆投下
しかし日本人は天皇陛下の御言葉のように
耐えがたきを耐え
忍びがたきを忍び
米国と共に
世界平和のため努力してきた
それを今特定国が何とか
崩そうとあの手この手で
かく乱を試みる
今 日本人は何が真実か
しっかり見極めて世界平和に
貢献している日本国を維持し更に
発展させなければ
日本の未来どころか世界の未来も無くなる
久間氏の”しょうがない”は
そうゆう日本の諸事情を包み込んだ
ため息と想う
原爆被害者の無念を想うとき
胸が痛くなる
どうぞ安らかにお眠りください。
「”通州事件”について教えてください」
と書き込めばよいのですね
総力を將來の建設に傾け、道義を篤くし、志操を鞏(かた)くし、誓て國體の精華を発揚し、世界の進運に後れさらむことを期すへし。
日本の戦後体制は、この先帝陛下の詔勅に要約される。
「堪へ難きを堪へ、忍ひ難きを忍ひ」とは言え、通州事件は何回聴いても怒りで全身の血が沸騰する。戦陣訓の「生きて虜囚の辱めを受けるべからず」は、支那軍に対するものだ。「捕えられ惨殺されるよりも、自決しろ」ということだった。(ナポレオン・ソロ)
昭和10年代の支那は、国家ではなく8馬賊・匪賊・雑軍が支配する社会であった。当時、日本軍は残酷な死亡場面は教育上、公表を不許可にし、子供や兵士が見た場合も、復讐を心配し、紙面に出さないようにしていた。
通州事件は余りにも残虐・悲惨であったなため公開されず、日本軍のみが後始末した。その結果表面に出なかった。(古田)
支那人の残虐・非道な文化は、朝鮮などの属国にも伝えられた。まことに、文化や民度の低い人々とは、付き合いきれないということだ。
ん。どの時代のどの戦争にも残虐行為はあったと思います。だから、われわれは戦争そのものを反対していかなければならないのです。憲法9条は日本の宝です。みんなで守りぬきましょう。
戦争するにも、作法と云うモノが存在して居ましたが、蒋介石を首領とする国府軍を始めとするシナ大陸を割拠した軍閥、馬賊、匪賊の類こそ、この作法を最も守らない連中だった事は有名です。
特に国府軍の中でも、北伐軍の悪辣さとその野蛮さは群を抜いています、彼等の襲撃対象は一般民衆です、この事件の様に居留邦人も多く犠牲になっていますが、最大の被害者は誰有ろうシナ大衆でしょう、彼等の暴威にシナ大衆が日本軍に庇護を求めていた情況がある位です。
戦争とは国家間でお互いの大義の帰趨を賭けて行われるモノならば、彼等のやっていたことは、唯の盗賊の為の虐殺行為であり、シナに跳梁跋扈していた集団の中で、最も正統性があるとされた彼等自身でさえ、犯罪集団に他ならないワケです、正に「シナの戦争に大義無し」なのです。
ジェラード君は、殊日本のことになると極めて曖昧な話でも決めつけで有ったことになり、シナや朝鮮の事となると「世界は皆平等、誰でもやっている」になる様で、真に便利な価値観をお持ちのようですな。
くたばれ卑劣漢。
南京事件があれだけ騒がれているのですから、まったく片手落ちですね。私たちブロガーの武器は「真実を明かすこと」。それだけで充分あちらの非を追求できます。貴重な情報とデータ、ありがとうございました。勉強になります。
私の方でも、とんでもない情報を発見しまして、例の大西記者の息がかかっていると推察できるのですが、徹底した反日プロパガンダビデオを、ニューヨークタイムズのトップページに貼ってありました。ぜひご覧になってください。ぶっとびます。
で、当時の新聞に昨日はイギリス、今日はアメリカ、明日は日本か?と皮肉めいて載ってたそうですが、まさにそのとおりになったのがこの事件だそうで。
ちなみに、イギリスもアメリカも、当時の中国への大援助国で、日本も貧しいながら蒋介石率いる民国政府に結構な金額の融資をして踏み倒されてます。
当時の極東専門家は中国人は恩を仇で返す傾向があり、その額が大きいほどしっぺ返しも大きいから不介入不干渉で放置しておくので一番だと結論付けてます。
学校の歴史の事業でも習う義和団の乱です。
(最近のサヨク傾向にある学校の授業で取り上げられているのか知りませんが)
そこで日本、米国、ロシア、英国、フランス、ドイツ、イタリア、オーストリア・ハンガリー帝国の
8ヵ国により世界初の多国籍軍が結成され、これの鎮圧にあたりました。
通州事件の前から外国居留民の襲撃が行なわれていたんですね。
我々が認識すべきは通州事件の残虐性だけではなく,起きた事件を時系列的に把握すべきである.また,日本が将来中国に屈すれば同様の虐殺事件が日本中で起こることも自明の如く予測できるのである.
盧溝橋(7月7日)->通州事件(7月29日)->第二次上海事変(7月下旬より種々の衝突)と兵力投入の遅れを見れば,日本が事変拡大に躊躇していたことは明らかである.
日本の侵略性を言い立てる党派は日本が戦闘に勝ったことを侵略性の証拠として指摘するが、これは木を見て森を見ない論法である.
>戦争というものは、普通の人間を狂人へと
>変えるのです。
自分で見てきたかのような物言いだなぁ。
戦争体験あるのか?
我々同様戦争体験無いのなら、確証の無いこと言うな。
>そこには中国人とか日本人の区別は
>ありません。
日本兵は朝鮮人軍属が混じる前の日本軍は、
正解No.1のモラルとモラールが自慢だった。
つまり南京みたいに一般人見捨てて逃げたりしなかった。日本人とシナ人、朝鮮人とは明確な違いがあるのだ。いい加減なこと言うな。
お前やっぱり、大東亜戦争のこと、知らないんだろ。
>どの時代のどの戦争にも残虐行為は
>あったと思います。
これはおk。米国の、原爆投下や民間人対象の空爆は残虐行為だな。国際法違反の虐殺だ。勉強したな。
ちなみに日本の虐殺行為は、シナと朝鮮の自己申告しかない。物的証拠が無いな。
お前、証拠持ってるのか?ぜひ見せてくれ。
物的証拠。
>だから、われわれは戦争そのものを
>反対していかなければならないのです。
勝手にしろ。
だが、戦争は外交手段の一つだ。
日本国内の民間人が他国の軍隊に虐殺されたら、俺は、当然報復戦争を支持する。
お前は勝手に反対してろ。
>憲法9条は日本の宝です。
>みんなで守りぬきましょう。
憲法9条のせいで、日本国内の民間人が他国の軍隊に虐殺される事を事前に、止められん。
そんな憲法などいらん。
国は国民在ってこその国だ。
ってことでジェラードへの攻撃はおしまいにして...
今回の記事って、時の日本政府(幣原内閣?)が強く抗議しなかったので、以降日本人民間人がシナ人に狙われる原因となったって記憶あります。(一寸記憶に自信なし。)
先ず当時の内閣の弱腰を怒れって意図でなく、今回の従軍慰安婦決議で、通州のような抗議しないという過ちを繰り返さないようにしたいと、思いを強くした次第です。
この後、敗走する国府軍の中から、蒋介石や唐智生などの司令官が逃亡して軍は大混乱に陥ります、彼等の多くは、中立安全地帯とされ、南京市民の多くが避難していた南京城に逃げ込みました、此処で、南京大虐殺をでっち上げられているワケです。
この戦いに、共産シナは一切関わりがないし、観た筈もないのです、其れが証拠に、日中国交正常化の際に、挨拶に来た社会党の代議士に向かって、毛沢東が「日本が国府軍と戦って呉れたお陰で、国府軍が弱体化して、我々が勝つことが出来た」と言い放っています。
>日本国民の良識に安心しました。国民の審判は下されました。安部政権は責任をとるべきです。 (ジェラード)
参議院選自民党大敗が明らかになるや否や嬉々として一番乗りのコメントをして来た時点で、確信を持ちました。ジェラードの薄笑いの表情が透けて見えるますね。『安倍総理大臣は日本国の国益に叶った総理大臣』、『絶対辞任すべきでない』と。
『憲法9条は日本の宝』とジェラードが言う以上、日本国民にとっては厄害以外何物でも無い様な気がします。私には、『憲法9条は朝鮮人の宝です』にしか読めません。
憲法9条改正反対に拘る社民党福島みずぽ共等や、9条ネットとかの者共等は、自分達の主張が朝鮮人の為のものでは無い事を証明すべきです。私にはジェラードの手先にしか看做せません。
「腹を断ち割って内蔵をぶちまける」。そんな殺し方も中国人はするのですね。それは知らなかったです。『無防備都市宣言』をしているサヨク共等は、確信しているのでしょうか。『中共人民解放軍に占領されても、自分や家族は通州事件の犠牲者みたくなら無いって』。それでは奴等は、もろ中共のスパイです。
BPO放送倫理機構の裁定が出ました。『捏造は無かったが、重大な落ち度があった』。これを報じた直後、キャスターやアナウンサーは一言「謝罪なり、お詫びなり」の謝罪と反省の態度を少しでも見せるのが、スジでは無いですか?何よ、あの不服そうな表情は?それで、TBSにはどの様な処罰や制裁が加わるのですか?これで終るとしたら、視聴者や不二家関係者を余りに馬鹿にしているとは思いませんか?『原爆しょうがない』のたった一言を、あれ程叩きまくって、大臣を辞職せしめたTBSは、自らの捏造報道他企業追い落としに関しては、何らかの『ケジメ』をつけるべきでは無いですか?できないのなら、安倍総理大臣につけて貰うべきです。勝負はこれからです。
『ぼさっとしてと、通州事件みたいに、手足を切り取られ、腹を断ち割られ内蔵ぶちまけられるから、北京五輪を見に行くのなら充分中国人には気をつけろ』云々と。
それを一切黙殺するマスゴミ群。日本国民の安全など、全く重視していない事が良く判ります。この業界は誰が支配し、牛耳っているか想像付きますね。きっとジェラードみたいのがうようよいるのでしょうか。以後自重。
初めてコメントさせていただきますが、
私は途方にくれますが、この国は日本ではなくなってしまっているのでは?三島先生がおっしゃた様に。「・・・無表情の経済大国」私たちの子供たちは地下にもぐるしかないのでは?
明治維新自体の不完全さ(侍から試験エリートへの変化による昭和の悲劇)、戦後の言い古された状況、この100年以上の歴史を克服するのはおそらく後世の(われわれが会うことのできないくらい後の)日本人?(このまま指をくわえて北京五輪を眺めて《しかも多額の援助資金を貢いで》)台湾・沖縄を見殺しにして、果ては本土も財界とマスコミ・官僚・政治家が中南海の言いなりに。・・・中共の自壊によるさまざまな紆余曲折はあるにせよ・・・このような方向にあるように5年前より考えております。(その当時は私の妄想と思っておりましたが)
何か、普通のサラリーマンでもあらゆる意味で参加できるムーブメントを起こさなければ打開できないのではと常々愚考しております。
ネットを覗いておりまして感じるのは、非常に考えの深い方々が多く存在することです。それぞれの方々が可能な範囲で共闘でききる何かが欲しいと思います。
少し時間をかけても来年の前半に何か。
ワケノわからないことを失礼しました。
今後とも有益な取材活動を期待しております。
自身の活動の糧とさせていただきます。
日本はある意味特殊な国なのでしょう。
ただ、対外的にはその特殊性よりは、民主・自由・機会平等を強く打ち出すことが良いのではと。その意味でも、ウイグル・モンゴル・チベットの独立自治を欧米に向けて発信していくことが一つあるのではと考えます。
アネモネ様もこの辺のエントリをお願いいたします。(昨日外岡先生は北京五輪反対のデモ行進を大阪で実施されました。)
読む間怒りで顔が熱くなり、そのまま情けない事に泣きそうになりました。人間の尊厳云々の前に一つの他の命への礼儀すら かの国には無いのでしょうか
知る機会を与えて下さったブログ主様には本当に感謝致します
左翼が大切にしている九条ですが、作られた経緯は米国が日本の牙を抜き飼い慣らす為という事に関しては如何お考えなのでしょうか?「大嫌いな米国」が「大嫌いな日本」を飼う為だから複雑な心境はあれど万歳、ですか?
関係は無いのですが在日韓は半島から「蛆虫」と罵られる程嫌われているそうですね。権力者から帰ってくるなと言われ特権請求については何を言ってるんだと呆れられて…
今現在甘やかされきってる彼らがもし日本から美味しい餌を取り上げられたら(日本人としては最高の展開ですが)民族の誇りの為帰化を望まぬ彼らは'何処'に帰るのでしょうかね
通わせて頂きます
戯れ言失礼しました
しかしながら、司馬遷の「史記」に出て来る漢の高祖夫人呂后の、戚婦人に対する「耳鼻を削ぎ、手足を切り落とし、喉を薬で潰し便所の中に落として『人豚』と呼ばせた」という故事などを鑑みると、4千年の残虐アイディアに関しては我々の想像力の外にあることは否めまい。
確認された時点でこのコメントの削除をお願い致します。
http://mixi.jp/view_bbs.pl?id=21861297&comm_id=232653
もって
大陸での侵略戦争や日本兵自らが証言する
残虐行為等を否定することはできません。
日本人としては
開き直るのではなく認めるところは認めて
こそ説得力を持つと思います。
東トルキスタン・チベットを侵略した「中国」は何者なんだろ
日本人≒身内 朝鮮人≒他人
一般家庭と一緒だと思います。
本当に困ったときに助けてくれるのは、両親や兄弟、家族なんです。
最後は身内の世話になるものなのです。
あちこちでさ自分の家族(日本家)の悪口や自虐てきなことを言ったり、身内の誰かを馬鹿にしたりしている人達とかは、他人から見ればどう映ると思う?
私だったら、単純に「変な家庭」と思うし、「このひと信用できない、気をつけよう」って思います。
青春時代に、フォークギター持ってピースサインしていた世代、官総理や岡田さんと同年代のひとはもっとしっかりして欲しいです。
尖閣問題で恫喝されたときの官総理のびくびくした顔、今でもハッキリ覚えてます。完全にビビッててこっちが情けなくなりました。
外交会談でもへらへらしたり、しっかり相手の目を見て臨んでください。
朝鮮やチベットへの侵攻、中立条約を無視して太平洋戦争末期に侵攻してきたロシア。
ただね、今の尖閣諸島問題に対する日本政府の対応には失望、中国もそんな事してたら何れは潰れるし国際的な恥。少なくとも日本は戦後60年一切他国に侵攻していない。これは誇れる。中国は見習え
新しい情報ありがとうございます。 無断ですが転載します。
日本人にもっと知らせなくてはいけません。http://blogs.yahoo.co.jp/tydm1543/18375778.html
ソ連軍は満州に侵攻し、日本人女性を強姦、殺害しまくりました。その際、中国人、朝鮮人の所にも連れて行き、集団輪姦しました。この本にも、妊娠してしまった女性が恥じて高井戸に飛び降り自殺する人が後を絶たなかった、と書かれています。
子供達は-20℃、30℃の中、夏服のまま学校の中で飢えながら、助け合い、靴下を貸してあげたり、死にかけの子供に一番良いお肉のラーメンを、自分の服を売って食べさせてあげたり、死ぬ前に丁寧に母親に感謝しながら、自分の着物と布団をたたんで亡くなりました。
お母さんが攻撃の中、亡くなる直前、しっかり勉強しなさい、と言い残したことで、お腹がすいて極限の中、ゴミ焼却炉の横でずっと本を読んで勉強し続けていた子供・・・。
命からがら半島経由で逃げようとしたら半島で朝鮮系の人に囲まれ殺されそうになり、孤児の子供が、「待って、僕は何も失うものが-ないから僕を殺して!」とかばったが朝鮮系の人の怒りは収まらな-かったなどとも書かれています。
今思えば、顔立ちからして、中国にいる人には見えず、日本人に見えていたし、満州にいた日本人が軍事侵攻にあった時の写真にしか思えません。
満州で星くずと散った子供達の遺書
http://www.amazon.co.jp/%E6%BA%80%E5%B7%9E%E3%81%AE%E6%98%9F%E3%81%8F%E3%81%9A%E3%81%A8%E6%95%A3%E3%81%A3%E3%81%9F%E5%AD%90%E4%BE%9B%E3%81%9F%E3%81%A1%E3%81%AE%E9%81%BA%E6%9B%B8%E2%80%95%E6%96%B0%E4%BA%AC%E6%95%B7%E5%B3%B6%E5%9C%B0%E5%8C%BA%E9%9B%A3%E6%B0%91%E5%8F%8E%E5%AE%B9%E6%89%80%E3%81%AE%E5%AD%A4%E5%85%90%E3%81%9F%E3%81%A1-%E5%A2%97%E7%94%B0-%E6%98%AD%E4%B8%80/dp/4946513469
朝鮮引揚げの時も日本女性大勢が朝鮮人に強姦された。実際は、日本人が一番戦争による強姦の犠牲が多いと言える。
満州から日本へ帰れず亡くなった方は30万人。
戦争中、おばちゃんが上海で働いてた時
料理店で、お偉いさん幹部?の毒殺暗殺事件に
遭った話をしていたことが気になり、
ネットで何か情報がないか捜してる時に
「通州事件」を目にしました。
こんなことが起きてたなんて、
知りませんでした。
もの凄くショックです。
たった何十年前に起きた事件なのに…
中国や韓国の歴史の授業はもの凄く
勉強してるように聞きますが
日本の教科書には「通州事件」って
聞いたことがないから、載ってないんですよね?
日本もつい最近の過去の歴史を
勉強をしないといけないと思います。
日本人はちょっと平和ボケしてると思います。
日本の教科書に載せるように文部科学省に電凸と
教科書の出版社にも電凸してみます!
言われてみれば、南京事件の人数もおかしいと思っていました。原爆を落とした連合軍が非道にならないため、人数を水増しして、日本の方が非道であることにする必要があったとは聞いていましたが、中国は、自らの残虐性を隠蔽するために、日本に犯してもいない罪を押しつけたのですね。東京裁判の偽善性を含め、日本は教育と情報発信を強化する必要がありますね。
犠牲者のご冥福をお祈りします。