中共ご推薦“尖閣本”の滅裂…悪霊にもならない御用学者
歴史的な証拠が示されている…中共当局が外国記者に薦めた“尖閣研究書”は支離滅裂なトンデモ本。墓場から蘇ったシナ御用学者は、中共側の領有権主張に何の根拠もないことを丁寧に教えてくれた。
「ちょっと心配だが…」
日本サッカー協会の小倉会長が、不安をのぞかせていたのは9月末のことだった。10月からシナで始まるU-19アジア選手権。シナ人集団が狼藉の限りを尽くした2004年アジア杯の嫌な記憶が蘇る…
杞憂ではなかった。10月4日、山東省で行われた日本-UAE戦の試合直前、不逞シナ人が乱入する事件が起きた。恐れていたことが現実になってしまったのだ。
▼日の丸を奪う不逞シナ人10月4日(共同通信)
選手が整列し、スタジアムに君が代が流れ始めた時だった。1階席にいた不逞シナ人が柵を乗り越えてフィールド内に侵入、スタッフが手にしていた日の丸を強奪してピッチの中央へ走り去った。
乱入した不逞シナ人は約20秒後に取り押えられ、フィールドの外に連れ出されたが、その間、スタジアムの観衆は拍手喝采、声援を送り続けた。なぜ易々とデフェンスラインが突破されるのか…
▼捕獲された不逞シナ人10月4日(共同通信)
10月1日にもU-19日本代表が練習中、シナ人がペットボトルをグラウンドに投げ入れ、罵声を浴びせる事件が発生。日本サッカー協会は選手の安全確保と再発防止を求め、警備が強化されていたという。
2004年のアジア杯では公使の車が襲撃され、2年前の東アジア選手権では選手のバスが大群衆に取り囲まれた。それに比べれば、一瞬の狼藉だったが、ピッチ乱入は選手を危険に晒す重大トラブルである。
しかし、共同通信が写真2枚を配信した他、この大会の放映権を持つテレ朝が手短に伝えただけで、メディアの取扱いは低調だった。共同は尖閣に絡んだ「抗議の可能性」を示唆するが、関連は明らかだ。
「釣魚島は中国のものだ」
スタジアムには、そう書かれたプラカードを掲げるシナ人もいた。スポーツの試合で政治的な主張を振りまくのは、シナ・朝鮮の伝統芸だが、一般のシナ人は何を根拠に、そう言い張っているのか…
【中共推薦の“尖閣本”を恐る恐る開く】
「中国は釣魚島を最も早く発見した国であり、管轄権を行使する国でアル」
▼中共外交部報道官の会見9月14日(NNN)
中共外交部のスポークスマンは9月14日、日課となっている妄言を吐いた後、外国メディアの記者に対し、京大の井上清なる人物の著作を読むよう提案した。
そこに中共側が主張する“歴史的な根拠”が書かれていると言うのだ。ひさしor靖なら知っているが井上清って誰? 聞いたことないが、中共当局が名前を挙げまで推薦するのだ。それなりの研究書なのだろう。
井上清著『尖閣列島-釣魚諸島の史的解明」
いきなり書籍名から気に入らない。井上清とは元京大名誉教授で、毛沢東崇拝・文革マンセーのマルクス学者らしい。タイトルから既に偏向しきっているが、発表したのは昭和47年だという。
そんな古くてマニアックな書籍を入手するのは大変…と思いつつ、近所の公立図書館のレファレンス機能を使ったら、軒並みヒット。これも問題だ。左翼系の書籍だけは、やたらと充実している。
▼1964年に訪支した井上清:右端(新華社)
「風向きと潮流が、福建や台湾から釣魚諸島へは、順風・順流に琉球からは逆風・逆流になるので、当時の航海術では、きわめてまれな例外はいざしらず、琉球からこの島々へは、ふつうには近よれもしなかった」(前掲書26頁)
なんだ、このエッセイ風の記述は…しかも、その直後の文章では、当時は倭冦が暴れて明は沿岸警備に備えていたと前言を総否定。この本で理論武装しようと考えた中共シンパも冒頭から顔を曇らせそうだ。
逆に、不安になってきた。
【針路をとったのは誰だったのか】
「平嘉山ヲ過ギ、釣魚嶼ヲ過ギ、黄毛嶼ヲ過ギ、赤嶼ヲ過グ。(略)古米山ヲ見ル。乃チ琉球ニ属スル者ナリ。夷人船ニ鼓舞シ、家ニ達スルヲ喜ブ」
1953年に那覇を訪れた明の柵封使・ 陳侃(ちんかん)による『使琉球録』の一節である。尖閣諸島に関する最初の記述は『順風相送』とされるが、時期・著者が不明として井上清は却下している。
▼69年中共発行の地図(ワシントンタイムズ)
『使琉球録』のこの一節は「船に乗る人が琉球に属する久米島を見て家に帰ったと喜んだ」と解釈できる。久米島は那覇から100㌔程度の大きな島。ここに至れば遭難の恐れもなくなり、喜ぶのは当然だ。
井上清は更に、1562年に同じく那覇に渡った郭汝霖の『重編使琉球録』にある「赤嶼ハ琉球地方ヲ界スル山ナリ」という記述に注目。この2節から尖閣諸島は琉球に属さないと言い切る。
▼CCTVで9月15日紹介された井上清
では当時、尖閣諸島は、どこに属していたのか…明の支配下にあるとの記述は一切ない。表現上は「無主の島」なのだが、井上清は、シナに帰属すると力説。その理由として、こう書いている。
「これが中国領であることは、彼および全てのすべての中国人には、いまさら強調するまでもない自明のことであるから、それをとくに書きあらわすことなどは、彼には思いもよらなかった」(前掲書30頁)
屁理屈にもなっていない。彼とは陳侃のことだが、東シナ海の無人島について明時代の全シナ人が領地であると知っていたのだと言う。その根拠については最後まで口を閉ざし、何も語らない。
▼井上が引用した『使琉球録』
この支離滅裂な説明だけでも、この本のトンデモ度が判るだろう。冊封使に関する井上清の珍説は、学術的に完全に論破されているというが、確かに、井上清は重要な事柄を隠しているのだ。
陳侃ら冊封使が乗った船は、琉球の進貢船。航海を司っていたのは、看針通事と呼ばれる通訳兼航海士の琉球人だった。彼らが那覇から福州まで送り迎えをしていたのである。
▼琉球人が針路をとった進貢船(ウィキ)
航海中、賓客である明の冊封使は、お大臣然として座っているだけで良かった。その反面、琉球の看針通事は、ポイントになる島影や夜空の星を頼りに、懸命に針路を取っていたのだ。
【常識だから明記しないと繰り返す】
「以上で、釣魚諸島は中国領であったことを確認できる記録が16世紀の中ごろには少なくとも3つあることが明らかとなった」(前掲書34頁)
第4章の冒頭で井上清は、矢庭に断言しているが、読者は呆然だろう。それまでに「中国領」と確認できる記録など出て来ない。どれも中途半端で説得力に乏しい引用の羅列だ。
▼CCTVで内容紹介される中文版
「これまでの各節により、釣魚諸島はおそくとも明の時代から中国領であったことが、中国人はもとより琉球人、日本人にも確認されていたことが明らかにされた」(前掲書58頁)
これは第7章の冒頭。どの章も深く掘り下げないまま、フェードアウトする感じなのだが、章の初めでは定型パターンで大見栄を切る。こんな書き方は、学生の卒論でも一発でダメ出しを喰らう。
「日本人も確認」と強弁するのは、天明6年(1786年)に林子平が世に送った「琉球三省并三十六島之図」を示す。林子平は、仙台藩出身の特異な経世論・兵学者だ。
▼地図を附した林子平の『三国通覧』
井上清は、この地図に示された現在の尖閣諸島が、シナ大陸と同じ桃色で塗り分けられていることに注目。それを根拠に、日本人が明の領地と確認していたと主張する。
林子平は、明の使節が著した『中山伝信録』を参照したと注釈しているが、この地図では台湾及び澎湖諸島が黄色で塗り分けている。その理由について井上清は、こうスーパー解釈する。
「彼は中国領であることはよく知られている台湾、澎湖を中国本土とはちがう色にぬり…」(前掲書45頁)
▼『琉球三省并三十六島之図』
前に見た論法と同じだ。明の領地とする最重要の根拠は「常識だったから」として徹底的に無視。この地図には「釣魚臺」と鮮やかに書かれているのだが、井上清は何故か、軽くスルーしている。怪しい。
井上清は、尖閣諸島の名称の起源について縷々説明しているが、一方でシナ名に関する記述・考察は一切なし。何かを期待して途中まで読み進めた中共シンパも不安の色を濃くするに違いない。
真正面から井上清説に反論するのも馬鹿らしくなってきた…
【これは逆の意味で推奨図書だ】
領有権の問題は常に、歴史的な経緯と共に国際法が重要な根拠となる。井上清も後半で国際法に触れているが、この辺りになってくるとボロボロだ。
マイナー専門誌で発表した最初の論文では、下関条約第2条で尖閣諸島が日本に奪い取られたと主張していたようだ。我が国が尖閣領有宣言は明治28年1月14日で条約交渉スタートの2ヵ月前だった。
▼聖徳記念絵画館の壁画『下関講和談判』
さすがに致命的なミスとあって単行本では訂正している。それでも井上は懲りずに「非合法な形で清国から窃取したもので悪質」と強弁。下関条約で清国が尖閣に触れなかった事実には、こう説明する。
「琉球と台湾の中間にあるけし粒のような小島を、いちいち日本と交渉して確定するゆとりはなかったであろう」(前掲書135頁)
▼CCTVで紹介された中文版表紙
尖閣諸島をテーマに長々と論じながら、最後には「けし粒」呼ばわりだ。読者にも失礼な表現である。結局、何も「史的に解明」されず、論考を総括する第15章では、火病が爆発する。
「日本政府や日本共産党が、どんなに歴史を偽造し、ねじまげ、事実をかくし、帝国主義の国際法なるものをもてあそんでも、中国の領土は中国の領土であり、日本が盗んだものは盗んだものである」(前掲書136頁)
まるで逆ギレした子供の言い掛かり…京大教授の論文とは思えない結論パートだ。最初から最後まで破綻しまくっている。これが中共当局が自信を持って推薦する“歴史研究書”の中身だ。
▼井上本を薦められた外国報道陣9月14日
実際に通読して判ったのは、中共側に説得力のある歴史的根拠が全くないという事実だった。逆の意味で、井上清の『史的解明』を推奨したい。各国の記者は英訳版を一読すべきである。
高校生以上の読解力があれば、余りに支離滅裂な解釈と古くさいマルクス史観に卒倒するはずだ。
〆
最後まで読んで頂き有り難うございます
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参照:
「尖閣」列島-釣魚諸島の史的解明』井上清
(↑復刻版の「はしがき」以外は全文掲載されています。そして速攻で論破↓)
朝日アジアレビュー昭和48年『尖閣列島問題と井上清論文』奥原敏雄
参考記事:
■サーチナ9月17日『日本の歴史学者「釣魚島は古くから中国の領土」―中国外交部が紹介』
■シナ新聞網9月16日『日本著名学者考证:钓鱼岛自古以来就是中国领土』
■スポーツ報知10月5日『日の丸奪われた!君が代斉唱中乱入、尖閣諸島問題で抗議か…U─19アジア選手権』
■読売新聞10月4日『サッカーU―19代表、尖閣の抗議活動に遭う』
■産経新聞10月4日(共同)『サッカー場で日の丸奪う「国辱を忘れるな」トレーナー着用の男を連行 中国人か アジア選手権』
関連エントリ:
平成20年2月21日『進歩ゼロの反日スタジアム…五輪資格なき劣悪観戦』
「ちょっと心配だが…」
日本サッカー協会の小倉会長が、不安をのぞかせていたのは9月末のことだった。10月からシナで始まるU-19アジア選手権。シナ人集団が狼藉の限りを尽くした2004年アジア杯の嫌な記憶が蘇る…
杞憂ではなかった。10月4日、山東省で行われた日本-UAE戦の試合直前、不逞シナ人が乱入する事件が起きた。恐れていたことが現実になってしまったのだ。
▼日の丸を奪う不逞シナ人10月4日(共同通信)
選手が整列し、スタジアムに君が代が流れ始めた時だった。1階席にいた不逞シナ人が柵を乗り越えてフィールド内に侵入、スタッフが手にしていた日の丸を強奪してピッチの中央へ走り去った。
乱入した不逞シナ人は約20秒後に取り押えられ、フィールドの外に連れ出されたが、その間、スタジアムの観衆は拍手喝采、声援を送り続けた。なぜ易々とデフェンスラインが突破されるのか…
▼捕獲された不逞シナ人10月4日(共同通信)
10月1日にもU-19日本代表が練習中、シナ人がペットボトルをグラウンドに投げ入れ、罵声を浴びせる事件が発生。日本サッカー協会は選手の安全確保と再発防止を求め、警備が強化されていたという。
2004年のアジア杯では公使の車が襲撃され、2年前の東アジア選手権では選手のバスが大群衆に取り囲まれた。それに比べれば、一瞬の狼藉だったが、ピッチ乱入は選手を危険に晒す重大トラブルである。
しかし、共同通信が写真2枚を配信した他、この大会の放映権を持つテレ朝が手短に伝えただけで、メディアの取扱いは低調だった。共同は尖閣に絡んだ「抗議の可能性」を示唆するが、関連は明らかだ。
「釣魚島は中国のものだ」
スタジアムには、そう書かれたプラカードを掲げるシナ人もいた。スポーツの試合で政治的な主張を振りまくのは、シナ・朝鮮の伝統芸だが、一般のシナ人は何を根拠に、そう言い張っているのか…
【中共推薦の“尖閣本”を恐る恐る開く】
「中国は釣魚島を最も早く発見した国であり、管轄権を行使する国でアル」
▼中共外交部報道官の会見9月14日(NNN)
中共外交部のスポークスマンは9月14日、日課となっている妄言を吐いた後、外国メディアの記者に対し、京大の井上清なる人物の著作を読むよう提案した。
そこに中共側が主張する“歴史的な根拠”が書かれていると言うのだ。ひさしor靖なら知っているが井上清って誰? 聞いたことないが、中共当局が名前を挙げまで推薦するのだ。それなりの研究書なのだろう。
井上清著『尖閣列島-釣魚諸島の史的解明」
いきなり書籍名から気に入らない。井上清とは元京大名誉教授で、毛沢東崇拝・文革マンセーのマルクス学者らしい。タイトルから既に偏向しきっているが、発表したのは昭和47年だという。
そんな古くてマニアックな書籍を入手するのは大変…と思いつつ、近所の公立図書館のレファレンス機能を使ったら、軒並みヒット。これも問題だ。左翼系の書籍だけは、やたらと充実している。
▼1964年に訪支した井上清:右端(新華社)
「風向きと潮流が、福建や台湾から釣魚諸島へは、順風・順流に琉球からは逆風・逆流になるので、当時の航海術では、きわめてまれな例外はいざしらず、琉球からこの島々へは、ふつうには近よれもしなかった」(前掲書26頁)
なんだ、このエッセイ風の記述は…しかも、その直後の文章では、当時は倭冦が暴れて明は沿岸警備に備えていたと前言を総否定。この本で理論武装しようと考えた中共シンパも冒頭から顔を曇らせそうだ。
逆に、不安になってきた。
【針路をとったのは誰だったのか】
「平嘉山ヲ過ギ、釣魚嶼ヲ過ギ、黄毛嶼ヲ過ギ、赤嶼ヲ過グ。(略)古米山ヲ見ル。乃チ琉球ニ属スル者ナリ。夷人船ニ鼓舞シ、家ニ達スルヲ喜ブ」
1953年に那覇を訪れた明の柵封使・ 陳侃(ちんかん)による『使琉球録』の一節である。尖閣諸島に関する最初の記述は『順風相送』とされるが、時期・著者が不明として井上清は却下している。
▼69年中共発行の地図(ワシントンタイムズ)
『使琉球録』のこの一節は「船に乗る人が琉球に属する久米島を見て家に帰ったと喜んだ」と解釈できる。久米島は那覇から100㌔程度の大きな島。ここに至れば遭難の恐れもなくなり、喜ぶのは当然だ。
井上清は更に、1562年に同じく那覇に渡った郭汝霖の『重編使琉球録』にある「赤嶼ハ琉球地方ヲ界スル山ナリ」という記述に注目。この2節から尖閣諸島は琉球に属さないと言い切る。
▼CCTVで9月15日紹介された井上清
では当時、尖閣諸島は、どこに属していたのか…明の支配下にあるとの記述は一切ない。表現上は「無主の島」なのだが、井上清は、シナに帰属すると力説。その理由として、こう書いている。
「これが中国領であることは、彼および全てのすべての中国人には、いまさら強調するまでもない自明のことであるから、それをとくに書きあらわすことなどは、彼には思いもよらなかった」(前掲書30頁)
屁理屈にもなっていない。彼とは陳侃のことだが、東シナ海の無人島について明時代の全シナ人が領地であると知っていたのだと言う。その根拠については最後まで口を閉ざし、何も語らない。
▼井上が引用した『使琉球録』
この支離滅裂な説明だけでも、この本のトンデモ度が判るだろう。冊封使に関する井上清の珍説は、学術的に完全に論破されているというが、確かに、井上清は重要な事柄を隠しているのだ。
陳侃ら冊封使が乗った船は、琉球の進貢船。航海を司っていたのは、看針通事と呼ばれる通訳兼航海士の琉球人だった。彼らが那覇から福州まで送り迎えをしていたのである。
▼琉球人が針路をとった進貢船(ウィキ)
航海中、賓客である明の冊封使は、お大臣然として座っているだけで良かった。その反面、琉球の看針通事は、ポイントになる島影や夜空の星を頼りに、懸命に針路を取っていたのだ。
【常識だから明記しないと繰り返す】
「以上で、釣魚諸島は中国領であったことを確認できる記録が16世紀の中ごろには少なくとも3つあることが明らかとなった」(前掲書34頁)
第4章の冒頭で井上清は、矢庭に断言しているが、読者は呆然だろう。それまでに「中国領」と確認できる記録など出て来ない。どれも中途半端で説得力に乏しい引用の羅列だ。
▼CCTVで内容紹介される中文版
「これまでの各節により、釣魚諸島はおそくとも明の時代から中国領であったことが、中国人はもとより琉球人、日本人にも確認されていたことが明らかにされた」(前掲書58頁)
これは第7章の冒頭。どの章も深く掘り下げないまま、フェードアウトする感じなのだが、章の初めでは定型パターンで大見栄を切る。こんな書き方は、学生の卒論でも一発でダメ出しを喰らう。
「日本人も確認」と強弁するのは、天明6年(1786年)に林子平が世に送った「琉球三省并三十六島之図」を示す。林子平は、仙台藩出身の特異な経世論・兵学者だ。
▼地図を附した林子平の『三国通覧』
井上清は、この地図に示された現在の尖閣諸島が、シナ大陸と同じ桃色で塗り分けられていることに注目。それを根拠に、日本人が明の領地と確認していたと主張する。
林子平は、明の使節が著した『中山伝信録』を参照したと注釈しているが、この地図では台湾及び澎湖諸島が黄色で塗り分けている。その理由について井上清は、こうスーパー解釈する。
「彼は中国領であることはよく知られている台湾、澎湖を中国本土とはちがう色にぬり…」(前掲書45頁)
▼『琉球三省并三十六島之図』
前に見た論法と同じだ。明の領地とする最重要の根拠は「常識だったから」として徹底的に無視。この地図には「釣魚臺」と鮮やかに書かれているのだが、井上清は何故か、軽くスルーしている。怪しい。
井上清は、尖閣諸島の名称の起源について縷々説明しているが、一方でシナ名に関する記述・考察は一切なし。何かを期待して途中まで読み進めた中共シンパも不安の色を濃くするに違いない。
真正面から井上清説に反論するのも馬鹿らしくなってきた…
【これは逆の意味で推奨図書だ】
領有権の問題は常に、歴史的な経緯と共に国際法が重要な根拠となる。井上清も後半で国際法に触れているが、この辺りになってくるとボロボロだ。
マイナー専門誌で発表した最初の論文では、下関条約第2条で尖閣諸島が日本に奪い取られたと主張していたようだ。我が国が尖閣領有宣言は明治28年1月14日で条約交渉スタートの2ヵ月前だった。
▼聖徳記念絵画館の壁画『下関講和談判』
さすがに致命的なミスとあって単行本では訂正している。それでも井上は懲りずに「非合法な形で清国から窃取したもので悪質」と強弁。下関条約で清国が尖閣に触れなかった事実には、こう説明する。
「琉球と台湾の中間にあるけし粒のような小島を、いちいち日本と交渉して確定するゆとりはなかったであろう」(前掲書135頁)
▼CCTVで紹介された中文版表紙
尖閣諸島をテーマに長々と論じながら、最後には「けし粒」呼ばわりだ。読者にも失礼な表現である。結局、何も「史的に解明」されず、論考を総括する第15章では、火病が爆発する。
「日本政府や日本共産党が、どんなに歴史を偽造し、ねじまげ、事実をかくし、帝国主義の国際法なるものをもてあそんでも、中国の領土は中国の領土であり、日本が盗んだものは盗んだものである」(前掲書136頁)
まるで逆ギレした子供の言い掛かり…京大教授の論文とは思えない結論パートだ。最初から最後まで破綻しまくっている。これが中共当局が自信を持って推薦する“歴史研究書”の中身だ。
▼井上本を薦められた外国報道陣9月14日
実際に通読して判ったのは、中共側に説得力のある歴史的根拠が全くないという事実だった。逆の意味で、井上清の『史的解明』を推奨したい。各国の記者は英訳版を一読すべきである。
高校生以上の読解力があれば、余りに支離滅裂な解釈と古くさいマルクス史観に卒倒するはずだ。
〆
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参照:
「尖閣」列島-釣魚諸島の史的解明』井上清
(↑復刻版の「はしがき」以外は全文掲載されています。そして速攻で論破↓)
朝日アジアレビュー昭和48年『尖閣列島問題と井上清論文』奥原敏雄
参考記事:
■サーチナ9月17日『日本の歴史学者「釣魚島は古くから中国の領土」―中国外交部が紹介』
■シナ新聞網9月16日『日本著名学者考证:钓鱼岛自古以来就是中国领土』
■スポーツ報知10月5日『日の丸奪われた!君が代斉唱中乱入、尖閣諸島問題で抗議か…U─19アジア選手権』
■読売新聞10月4日『サッカーU―19代表、尖閣の抗議活動に遭う』
■産経新聞10月4日(共同)『サッカー場で日の丸奪う「国辱を忘れるな」トレーナー着用の男を連行 中国人か アジア選手権』
関連エントリ:
平成20年2月21日『進歩ゼロの反日スタジアム…五輪資格なき劣悪観戦』
この記事へのコメント
井上清??
日本人でさえ知らないような御仁の著作まで引っ張り出さないことには己の主張を裏付けられないのが中共政府なのですね。「“論より証拠”というが“証拠より論”である」とは故・山本夏彦氏の名言ですが、中共政府の発想方法はまさに“証拠より論”そのものです。ヤツ等の頭の中には「尖閣は俺のもの」という“論”しかないから、“証拠”には何の価値も無いのです。
先般、中ロ首脳は「歴史のわい曲を許さないためにともに努力すべきだ」と語ったそうですが、それこそが噴飯もの。盗人猛々しいとはヤツ等のことです。
それにしても、こんな支離滅裂な本を読破したアネモネさんの忍耐力に敬意を表します。お疲れ様でした。
さすがのエントリー、ありがとうございました。
現物調査お疲れ様でした。
はっきり申しまして、井上清とやらの本は「妄想」の集大成ですね。
そして、シナ糞の主張もまた妄想・妄言でしかありませんね。
彼らが欲しているのは歴史的事実ではなくて自分たちに都合のいいプロパガンダの材料だから、それこそ重箱の隅をほじくりかえしてでもみつけてくるとは思っていましたが、こんな文書があったんですね。
273+5 :名無しさん@十一周年 [] :2010/10/11(月) 12:42:24 ID:wJbPOIWR0 [PC]
>>1
情報は、隠しきれないんだよ。民主党は、全員、死ねw
海保船舶が横付け。海保職員が乗り込む。その後、中国船舶が突如離船。
取り残された海保職員が中国人船員に飛び蹴りされて中国船舶から海中に突き落とされる。海に落ちた海保職員を潰すように、中国船舶が進路変更。
海保職員が必死に泳いで逃げるのを執拗に銛で突き殺そうとする中国人船員。海保船舶が海保職員を救出するため停船し救助に乗り出す。
その後ろから中国漁船が溺れる海保職員に乗り上げ、海保職員が海の中に沈んで見えなくなる。その後、浮かび上がった海保職員は海保船舶に後部から担ぎ上げられる。
這い上がる海保職員めがけて数秒後に漁船が全速力で海保船舶の後部から衝突し、海保側の船体が大破。