“人民英雄”になった胡錦濤…朝日社説のプロパガンダ
虐殺五輪前から激化した中共の政治弾圧が、劉暁波氏のノーベル平和賞に繋がった。シナ人の悲願を叶えたのは胡錦濤だ。そして21年前、「平和賞が泣く」と糾弾した朝日新聞は、論調を豹変させた。
今年1月6日、真冬のプラハ。ハーフコートにジーンズ姿の男性が中共大使館前に現れた。チェコの初代大統領、ヴァーツラフ・ハベル氏だ。その隣には、盟友マリー司教の姿も見える。
たまに報道で見かけるハベル前大統領は、毎回こんな感じだ。2年前、チベット大虐殺で抗議者が中共大使館前に集まった時も、前大統領は一介の市民として抗議の輪に加わっていた。
▼大使館に向うハベル前大統領とマリー司教:左端(ロイター)
この日、ハベル前大統領が携えていたのは、中共への抗議文。そこには、劉暁波氏に下された11年の実刑判決に抗議し、釈放を求める内容が記されていた。
「民主活動家を弾圧したかつてのチェコスロバキアの轍を踏まないよう中国政府に求めたい」
ビロード革命の中心人物は、記者団に対して、そう語った。ハベル前大統領と劉暁波氏は、時代と場所を越えて、深く繋がっている。「憲章77」と「08憲章」、そしてプラハの春と第2次天安門事件。
▼中共大使館を訪れたハベル前大統領1月6日(ロイター)
劉暁波氏投獄の原因となった「08憲章」は、かつてハベル前大統領らが発起人を務めた「憲章77」がモデルだった。今回のノーベル平和賞受賞について、ハベル前大統領は、こうコメントを寄せている。
「彼は、この賞に最も相応しい人物だ。経済的な利益よりも人権に重きを置き、中国の恫喝に屈しなかったノーベル賞委員会の勇気を讃えたい」
▼抗議文書を大使館ポストに投函(ロイター)
9月21日付の『インターナショナル・ヘラルド・トリビューン』紙は、ハベル前大統領らが、劉暁波氏に平和賞を贈るよう訴えた寄稿文を掲載。その一節には、こんな印象的な言葉もあった。
「私たちの短いマニフェスト(憲章77)が、30年後の中国にこだまするとは、考えてもいなかった」
▼劉氏自宅近くで受賞を祝う支援者10月8日(ロイター)
ハベル前大統領らの寄稿文は、我が国のメディアでも紹介されるなど、大きな反響を呼び起こした。「憲章77」を起草し、更に劉暁波氏を強く推薦した彼らは、間違いなく今回の授賞の功労者だ。
しかし、劉暁波氏ノーベル平和賞受賞の真の立役者は、もっと意外な人物だった。
【シナ国籍初のノーベル賞を祝う】
「中国は経済的、政治的両面で大国になった。大国が厳しい批判を受けなければならないのは当り前のことだ」
劉暁波氏の平和賞授賞を発表したノーベル賞委員会のヤーグラン委員長は、会見で中共に釘をさした。これだけでも異例だが、選考過程で中共から圧力を受けたことも認めた。
「反体制派への授賞は反発を招くと中国から警告を受けていた」
▼会見するヤーグラン委員長10月8日(AFP)
2006年度の最終候補者ラビア・カーディルさんを始め、これまで中共は度々、ノーベル賞委員会に圧力をかけていた。それは憶測の域を出なかったが、今回、会見の場で明言したのだ。
「反体制活動家に授与すればノルウェーと中国の関係は悪化するだろう」
中共外交部副部長の傅瑩(ふえい)は今年6月、そう脅した。相手はノーベル賞委員会のルンデスタッド事務長。傅瑩はオスロの中共大使館に事務長を呼び付け、恫喝したという。
▼外交部副部長に昇進した傅瑩1月5日(新華社)
事務長が9月末に地元テレビ局から取材を受けた際に、この事実を暴露。産経新聞の独自インタビューでも、圧力を受けたことを認めている。もちろん外交部ナンバー2のスタンド・プレイではない。
これまでと同じ中共の暗黒戦術、胡錦濤政権の方針だ。中共指導部は恫喝に屈すると考えたのだろうが、菅政権とは違った。ノーベル賞委員会の会見を聞くと、この脅迫が決定打になった可能性も高い。
「中国がより民主的な国になるために他の人が言えないことを、我々は言わなければならない」
▼ノーベル平和センターのパネル10月9日(ロイター)
中共の政治弾圧は、虐殺五輪を前にして加速し、劉暁波氏の拘禁も、その一環と指摘される。投獄、重刑、さらにノーベル賞委員会への圧力で“指導力”を発揮したのは胡錦濤に他ならない。
屠殺鬼による一連の判断がなければ、劉暁波氏が平和賞を受賞することはなかったのだ。正真正銘の立役者である。
▼天安門をパレードする胡錦濤の博物館写真(ロイター)
しかも双十節を前にしての受賞決定で、嬉しさも倍増。世界中のシナ人は、毎年この時期が近づく度に、シナ国籍初のノーベル賞受賞者誕生を心待ちにしていたという。
その夢を屠殺鬼が、あっさり叶えてくれた。快挙である。改めて祝福したい。初めてのノーベル賞をもたらした胡錦濤を、シナ人は“人民英雄”として後世に語り継ぐ必要がある。
【処分を決めかねていた胡錦濤政権】
中共当局は劉暁波氏に対して「海外出国」を打診していたという。それを拒否した為に裁判で重刑が科せられたとの説が有力だ。実際、胡錦濤政権は、拘禁後の劉暁波氏に取り扱いに苦慮していた。
劉暁波氏の連行・拘禁は「08憲章」発表直前の2008年12月8日だった。しかし、当局が逮捕を公にするまでには半年以上かかった。その間、処分を決めかねていたのだ。
▼拘禁される前年の劉暁波氏(産経新聞)
ブッシュ政権が終わり、オバマが登場。2009年2月にはクリントン国務長官が北京を訪れたが、米民主党政権として中共の政治抑圧に強い反対姿勢を示さなかった。
「人権では経済や環境、安保上の危機を解決できない」
クリントン発言は米リベラル派の反発を招いた。しかし、そのスタンスは続く5月のペロシ下院議長のシナ訪問でも同じだった。中共当局は、この2人の歴訪が終わったタイミングで劉暁波氏の逮捕に踏み切る。
▼シナを訪問したペロシ下院議長09年5月(中国網)
それでも胡錦濤政権は、最終的な決定を先送りしていた。劉暁波氏を法廷に引っ張り出し、実刑11年の判決を下したのは、オバマ大統領がシナ訪問を終えた翌月、2009年12月のことだった。
米側の強硬姿勢を理由に胡錦濤側が妥協していれば、逮捕公表前の段階で劉暁波氏は、こっそりとリリースされたに違いない。それは中共側が望んでいたシナリオでもあるだろう。
▼初公判前月に訪支したオバマ大統領(AP通信)
しかし、今回の受賞決定で全部が裏目に出てしまった。劉暁波氏の処分によって改めて“無法国家ぶり”が国際社会でクローズアップされ、中共を痛打する結果になった。
【平和賞の政治利用を糾弾する朝日社説】
「中国の反発は予想されたことであり、全世界がこぞって祝福する授賞にならなかったのは残念である。平和賞があまりに政治的になり、対立を助長することにもなりかねないことに違和感を持つ人も少ないない」
朝日新聞は社説で「平和賞の名が泣く」と猛批判した。これは平成元年10月7日の社説だ。ダライ・ラマ14世法王猊下がノーベル賞を受賞した際のものである。
▼平成元年10月7日社説(報道・研究目的の引用)
参考文献:岩田温氏著『チベット大虐殺と朝日新聞』(平成20年、オークラ出版)
今、読み返しても異様な社説だ。平成元年の秋は、ラサ大虐殺から半年で、欧米を中心に中共批判の声が止まず、猊下への平和賞授賞は絶賛されていた。その中で朝日新聞は事実を歪曲して罵声を浴びせた。
▼成田に立ち寄った法王猊下10月11日(共同通信)
ところが、今回の劉暁波氏の受賞では一転して、絶賛する立場に回った。受賞決定翌日、10月9日付けの社説。そのタイトルは「平和賞-中国は背を向けるな」だった。
「民主主義や人権を大切にしてこなかった中国の指導者に、痛烈なメッセージが突きつけられた」
「委員会は中国側の圧力に屈しなかった。高く評価したい」
■参照:朝日社説10月9日「平和賞-中国は背を向けるな」(魚拓)
▼劉暁波氏の写真を見せる劉霞夫人10月3日(ロイター)
なぜ、主張が180度も違うのか…文章からは、全く読み取ることが出来ない。2人の立場は異なるが「長年にわたる非暴力的な闘争」をノーベル賞委員会が評価し、授賞理由に挙げたことは一致している。
論調一変の根底にあるのは、朝日新聞の卑劣な民族差別だ。
【中共政治弾圧の深刻な犠牲者】
2つの社説の差は、平成元年当時、朝日新聞が中共当局からネジを巻かれ、プロパガンダを垂れ流していた事実を証明するものだ。天安門事件の4ヵ月後でもあり、当時中共は完全に世界から孤立していた。
▼天安門事件(六四メモ)
「だからこそダライ・ラマ陣営にも望みたい。今度の受賞を機に、対決ではなく、和解のために、流血ではなく和平のために、力を発揮することを」
平成元年の社説は、そう結ぶ。まるで猊下が“暴動の首謀者”であったかのような表現だが、これは中共の宣伝方針そのままだ。忠実なプロパガンダ紙として機能していたのである。
▼89年3月のラサ大虐殺
朝日新聞の記者も購読者も2つの社説を並べて、検証すべきだ。「背を向けるな」という忠告は、そっくり朝日新聞にお返しする。では、今回は中共のプロパガンダ紙として役割を果たしていなかったのか?
20年以上前は、読者が報道内容を検証する手段が限られ、捏造記事も書き放題だった。平成元年の社説にある「全世界がこぞって祝福しなかった」という部分は単純な嘘だ。
▼ノーベル平和賞の授与式典89年12月10日
実際に猊下のノーベル平和賞受賞を祝わなかったのは、中共とそのシンパだけだった。劉暁波氏の受賞に対する現在の中共側の反発と全く同じである。こうした捏造は、現代ではさすがに難しい。
それ以前に、朝日新聞が伝える「人権問題」には一定のスタンスがある。朝日新聞がシナの人権問題を完全に無視しているとは言い切れない。発作的に関連記事が掲載される。
▼2008年3月キルティ僧院の虐殺(Phayul.com)
しかし、チベットや東トルキスタンなど植民地の弾圧では、中共を擁護して捏造記事を流すのが特徴だ。2年前のチベット大虐殺や昨年のウルムチ大虐殺では、徹底して銃を突き付ける側に回り、ジェノサイドを正当化した。
劉暁波氏に対して欧米諸国は早期釈放を求める政府見解を示した。それは正しい主張だが、劉暁波氏の身の安全は確保されている。直ちに救うべきは、不当拘束で拷問を受け、闇の中で消えていく植民地の住人だ。
▼親族の拘禁を報道陣に訴えるウイグル人09年7月
チベットでは今も高僧や市民の不当拘禁が続いている。いわゆる「良心の囚人」に含まれない無名の人々への過酷な迫害と抑圧だ。ノーベル賞委員会のヤーグラン委員長は会見で、こう訴えた。
「今、中国での人権抑圧に目をつぶれば、世界での(人権の)基準を下げることに直結する」
▼劉氏の写真を掲げるヤーグラン委員長10月8日(ロイター)
朝日新聞は目を閉ざすどころか、人権弾圧を支援している。これは、媚中記事を垂れ流し、本当の人権抑圧を伝えることのない我が国の媚中メディアに向けられた強い警告だ。
〆
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参考記事:
■HRW10月8日『中国:劉暁波氏がノーベル平和賞受賞、中国の人権侵害に世界の注目を』
■HRW3月10日『中国:全世界の著名な有識者や作家ら 劉暁波氏の釈放を訴える』
■インターナショナル・ヘラルド・トリビューン9月21日『A Nobel Prize for a Chinese Dissident』
■イザ1月6日『劉暁波氏の釈放呼び掛け ハベル前チェコ大統領』
■イザ2月20『ひるみなき幽閉11年の道「08憲章」劉暁波氏、民主化の闘い』
■産経新聞10月3日『チェコ「ビロード革命」指導者「劉氏に平和賞を」』
■産経新聞9月30日【主張】平和賞に圧力 「無理押し」大国の異様さ
■産経新聞9月28日『「民主活動家受賞すれば関係悪化」中国外務次官、ノーベル平和賞選考に「圧力」』
■読売新聞10月8日『ノーベル賞委員長、中国に「人権」改善求める』
今年1月6日、真冬のプラハ。ハーフコートにジーンズ姿の男性が中共大使館前に現れた。チェコの初代大統領、ヴァーツラフ・ハベル氏だ。その隣には、盟友マリー司教の姿も見える。
たまに報道で見かけるハベル前大統領は、毎回こんな感じだ。2年前、チベット大虐殺で抗議者が中共大使館前に集まった時も、前大統領は一介の市民として抗議の輪に加わっていた。
▼大使館に向うハベル前大統領とマリー司教:左端(ロイター)
この日、ハベル前大統領が携えていたのは、中共への抗議文。そこには、劉暁波氏に下された11年の実刑判決に抗議し、釈放を求める内容が記されていた。
「民主活動家を弾圧したかつてのチェコスロバキアの轍を踏まないよう中国政府に求めたい」
ビロード革命の中心人物は、記者団に対して、そう語った。ハベル前大統領と劉暁波氏は、時代と場所を越えて、深く繋がっている。「憲章77」と「08憲章」、そしてプラハの春と第2次天安門事件。
▼中共大使館を訪れたハベル前大統領1月6日(ロイター)
劉暁波氏投獄の原因となった「08憲章」は、かつてハベル前大統領らが発起人を務めた「憲章77」がモデルだった。今回のノーベル平和賞受賞について、ハベル前大統領は、こうコメントを寄せている。
「彼は、この賞に最も相応しい人物だ。経済的な利益よりも人権に重きを置き、中国の恫喝に屈しなかったノーベル賞委員会の勇気を讃えたい」
▼抗議文書を大使館ポストに投函(ロイター)
9月21日付の『インターナショナル・ヘラルド・トリビューン』紙は、ハベル前大統領らが、劉暁波氏に平和賞を贈るよう訴えた寄稿文を掲載。その一節には、こんな印象的な言葉もあった。
「私たちの短いマニフェスト(憲章77)が、30年後の中国にこだまするとは、考えてもいなかった」
▼劉氏自宅近くで受賞を祝う支援者10月8日(ロイター)
ハベル前大統領らの寄稿文は、我が国のメディアでも紹介されるなど、大きな反響を呼び起こした。「憲章77」を起草し、更に劉暁波氏を強く推薦した彼らは、間違いなく今回の授賞の功労者だ。
しかし、劉暁波氏ノーベル平和賞受賞の真の立役者は、もっと意外な人物だった。
【シナ国籍初のノーベル賞を祝う】
「中国は経済的、政治的両面で大国になった。大国が厳しい批判を受けなければならないのは当り前のことだ」
劉暁波氏の平和賞授賞を発表したノーベル賞委員会のヤーグラン委員長は、会見で中共に釘をさした。これだけでも異例だが、選考過程で中共から圧力を受けたことも認めた。
「反体制派への授賞は反発を招くと中国から警告を受けていた」
▼会見するヤーグラン委員長10月8日(AFP)
2006年度の最終候補者ラビア・カーディルさんを始め、これまで中共は度々、ノーベル賞委員会に圧力をかけていた。それは憶測の域を出なかったが、今回、会見の場で明言したのだ。
「反体制活動家に授与すればノルウェーと中国の関係は悪化するだろう」
中共外交部副部長の傅瑩(ふえい)は今年6月、そう脅した。相手はノーベル賞委員会のルンデスタッド事務長。傅瑩はオスロの中共大使館に事務長を呼び付け、恫喝したという。
▼外交部副部長に昇進した傅瑩1月5日(新華社)
事務長が9月末に地元テレビ局から取材を受けた際に、この事実を暴露。産経新聞の独自インタビューでも、圧力を受けたことを認めている。もちろん外交部ナンバー2のスタンド・プレイではない。
これまでと同じ中共の暗黒戦術、胡錦濤政権の方針だ。中共指導部は恫喝に屈すると考えたのだろうが、菅政権とは違った。ノーベル賞委員会の会見を聞くと、この脅迫が決定打になった可能性も高い。
「中国がより民主的な国になるために他の人が言えないことを、我々は言わなければならない」
▼ノーベル平和センターのパネル10月9日(ロイター)
中共の政治弾圧は、虐殺五輪を前にして加速し、劉暁波氏の拘禁も、その一環と指摘される。投獄、重刑、さらにノーベル賞委員会への圧力で“指導力”を発揮したのは胡錦濤に他ならない。
屠殺鬼による一連の判断がなければ、劉暁波氏が平和賞を受賞することはなかったのだ。正真正銘の立役者である。
▼天安門をパレードする胡錦濤の博物館写真(ロイター)
しかも双十節を前にしての受賞決定で、嬉しさも倍増。世界中のシナ人は、毎年この時期が近づく度に、シナ国籍初のノーベル賞受賞者誕生を心待ちにしていたという。
その夢を屠殺鬼が、あっさり叶えてくれた。快挙である。改めて祝福したい。初めてのノーベル賞をもたらした胡錦濤を、シナ人は“人民英雄”として後世に語り継ぐ必要がある。
【処分を決めかねていた胡錦濤政権】
中共当局は劉暁波氏に対して「海外出国」を打診していたという。それを拒否した為に裁判で重刑が科せられたとの説が有力だ。実際、胡錦濤政権は、拘禁後の劉暁波氏に取り扱いに苦慮していた。
劉暁波氏の連行・拘禁は「08憲章」発表直前の2008年12月8日だった。しかし、当局が逮捕を公にするまでには半年以上かかった。その間、処分を決めかねていたのだ。
▼拘禁される前年の劉暁波氏(産経新聞)
ブッシュ政権が終わり、オバマが登場。2009年2月にはクリントン国務長官が北京を訪れたが、米民主党政権として中共の政治抑圧に強い反対姿勢を示さなかった。
「人権では経済や環境、安保上の危機を解決できない」
クリントン発言は米リベラル派の反発を招いた。しかし、そのスタンスは続く5月のペロシ下院議長のシナ訪問でも同じだった。中共当局は、この2人の歴訪が終わったタイミングで劉暁波氏の逮捕に踏み切る。
▼シナを訪問したペロシ下院議長09年5月(中国網)
それでも胡錦濤政権は、最終的な決定を先送りしていた。劉暁波氏を法廷に引っ張り出し、実刑11年の判決を下したのは、オバマ大統領がシナ訪問を終えた翌月、2009年12月のことだった。
米側の強硬姿勢を理由に胡錦濤側が妥協していれば、逮捕公表前の段階で劉暁波氏は、こっそりとリリースされたに違いない。それは中共側が望んでいたシナリオでもあるだろう。
▼初公判前月に訪支したオバマ大統領(AP通信)
しかし、今回の受賞決定で全部が裏目に出てしまった。劉暁波氏の処分によって改めて“無法国家ぶり”が国際社会でクローズアップされ、中共を痛打する結果になった。
【平和賞の政治利用を糾弾する朝日社説】
「中国の反発は予想されたことであり、全世界がこぞって祝福する授賞にならなかったのは残念である。平和賞があまりに政治的になり、対立を助長することにもなりかねないことに違和感を持つ人も少ないない」
朝日新聞は社説で「平和賞の名が泣く」と猛批判した。これは平成元年10月7日の社説だ。ダライ・ラマ14世法王猊下がノーベル賞を受賞した際のものである。
▼平成元年10月7日社説(報道・研究目的の引用)
参考文献:岩田温氏著『チベット大虐殺と朝日新聞』(平成20年、オークラ出版)
今、読み返しても異様な社説だ。平成元年の秋は、ラサ大虐殺から半年で、欧米を中心に中共批判の声が止まず、猊下への平和賞授賞は絶賛されていた。その中で朝日新聞は事実を歪曲して罵声を浴びせた。
▼成田に立ち寄った法王猊下10月11日(共同通信)
ところが、今回の劉暁波氏の受賞では一転して、絶賛する立場に回った。受賞決定翌日、10月9日付けの社説。そのタイトルは「平和賞-中国は背を向けるな」だった。
「民主主義や人権を大切にしてこなかった中国の指導者に、痛烈なメッセージが突きつけられた」
「委員会は中国側の圧力に屈しなかった。高く評価したい」
■参照:朝日社説10月9日「平和賞-中国は背を向けるな」(魚拓)
▼劉暁波氏の写真を見せる劉霞夫人10月3日(ロイター)
なぜ、主張が180度も違うのか…文章からは、全く読み取ることが出来ない。2人の立場は異なるが「長年にわたる非暴力的な闘争」をノーベル賞委員会が評価し、授賞理由に挙げたことは一致している。
論調一変の根底にあるのは、朝日新聞の卑劣な民族差別だ。
【中共政治弾圧の深刻な犠牲者】
2つの社説の差は、平成元年当時、朝日新聞が中共当局からネジを巻かれ、プロパガンダを垂れ流していた事実を証明するものだ。天安門事件の4ヵ月後でもあり、当時中共は完全に世界から孤立していた。
▼天安門事件(六四メモ)
「だからこそダライ・ラマ陣営にも望みたい。今度の受賞を機に、対決ではなく、和解のために、流血ではなく和平のために、力を発揮することを」
平成元年の社説は、そう結ぶ。まるで猊下が“暴動の首謀者”であったかのような表現だが、これは中共の宣伝方針そのままだ。忠実なプロパガンダ紙として機能していたのである。
▼89年3月のラサ大虐殺
朝日新聞の記者も購読者も2つの社説を並べて、検証すべきだ。「背を向けるな」という忠告は、そっくり朝日新聞にお返しする。では、今回は中共のプロパガンダ紙として役割を果たしていなかったのか?
20年以上前は、読者が報道内容を検証する手段が限られ、捏造記事も書き放題だった。平成元年の社説にある「全世界がこぞって祝福しなかった」という部分は単純な嘘だ。
▼ノーベル平和賞の授与式典89年12月10日
実際に猊下のノーベル平和賞受賞を祝わなかったのは、中共とそのシンパだけだった。劉暁波氏の受賞に対する現在の中共側の反発と全く同じである。こうした捏造は、現代ではさすがに難しい。
それ以前に、朝日新聞が伝える「人権問題」には一定のスタンスがある。朝日新聞がシナの人権問題を完全に無視しているとは言い切れない。発作的に関連記事が掲載される。
▼2008年3月キルティ僧院の虐殺(Phayul.com)
しかし、チベットや東トルキスタンなど植民地の弾圧では、中共を擁護して捏造記事を流すのが特徴だ。2年前のチベット大虐殺や昨年のウルムチ大虐殺では、徹底して銃を突き付ける側に回り、ジェノサイドを正当化した。
劉暁波氏に対して欧米諸国は早期釈放を求める政府見解を示した。それは正しい主張だが、劉暁波氏の身の安全は確保されている。直ちに救うべきは、不当拘束で拷問を受け、闇の中で消えていく植民地の住人だ。
▼親族の拘禁を報道陣に訴えるウイグル人09年7月
チベットでは今も高僧や市民の不当拘禁が続いている。いわゆる「良心の囚人」に含まれない無名の人々への過酷な迫害と抑圧だ。ノーベル賞委員会のヤーグラン委員長は会見で、こう訴えた。
「今、中国での人権抑圧に目をつぶれば、世界での(人権の)基準を下げることに直結する」
▼劉氏の写真を掲げるヤーグラン委員長10月8日(ロイター)
朝日新聞は目を閉ざすどころか、人権弾圧を支援している。これは、媚中記事を垂れ流し、本当の人権抑圧を伝えることのない我が国の媚中メディアに向けられた強い警告だ。
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■HRW10月8日『中国:劉暁波氏がノーベル平和賞受賞、中国の人権侵害に世界の注目を』
■HRW3月10日『中国:全世界の著名な有識者や作家ら 劉暁波氏の釈放を訴える』
■インターナショナル・ヘラルド・トリビューン9月21日『A Nobel Prize for a Chinese Dissident』
■イザ1月6日『劉暁波氏の釈放呼び掛け ハベル前チェコ大統領』
■イザ2月20『ひるみなき幽閉11年の道「08憲章」劉暁波氏、民主化の闘い』
■産経新聞10月3日『チェコ「ビロード革命」指導者「劉氏に平和賞を」』
■産経新聞9月30日【主張】平和賞に圧力 「無理押し」大国の異様さ
■産経新聞9月28日『「民主活動家受賞すれば関係悪化」中国外務次官、ノーベル平和賞選考に「圧力」』
■読売新聞10月8日『ノーベル賞委員長、中国に「人権」改善求める』
この記事へのコメント
さすがアネモネさん、アカヒの黒い体質を物語るきっちりと物証を出してくださり感謝です。
21年前…懐かしいですね~。当時私は高校3年生で、今とは違い日教組およびアカヒの洗脳にドップリ染まっていました。
添付されているアカヒの社説を拝見しました。もう無茶苦茶ですね。この年、アカヒは珊瑚礁にKYという文字を刻んだ自演スクープがばれて批判を浴びていますが、それ以外にもこんな非道を行っていたのですか。
こんな暗黒新聞社はわが国に不要ですね。一刻も早く潰れることを願っております。
<「委員会は中国側の圧力に屈しなかった。高く評価したい」
朝日に「おまえがいうな」と電凸しました。担当者におお受けしました。朝日の社説は劣化の一方のようです。論理破たんの支離滅裂、事実、現実を無視した理想論、現実逃避の無責任な論で金を取るなともいいました。
取材力、日本語力、専門知識、歴史を知らない記者に表現の自由を与えるのは猫にこばん、豚に真珠です。
(本文より)
私自身、一時もウイグルやチベットのことを忘れてはいません、とは言えません。
仕事や家族のことで全く忘れた状態で生きている時間のほうが多いであろうと思います。
>チベットでは今も高僧や市民の不当拘禁が続いている。いわゆる「良心の囚人」に含まれない無名の人々への過酷な迫害と抑圧だ。ノーベル賞委員会のヤーグラン委員長は会見で、こう訴えた。
(同上)
ヤーグラン委員長の発言に心から敬意を表します。
そして、ウイグルやチベットについても言及していただけましたアネモネ様のエントリにも感謝いたします。