吉田清治の息子は朝鮮人…在日成り済まし説を追う
捏造慰安婦を描いた小説家・吉田清治には僅か4歳下の息子がいた。実名は李貞郁。ペテン師が朧げに明かした半生もまた嘘と謎に満ちている。そして闇に生まれた男は、再び闇の中に消え去った…
詐欺師と呼ぶには影響が余りにも大き過ぎる。小さな反日の火を煽る為に創られた物語は、我が国と南鮮の決定的な断絶を生み出し、米国を巻き込む大火となった。
捏造慰安婦問題の火の粉が舞い上がった平成4年。NHK山口放送局は、吉田清治の“証言”に基づいた番組を企画、数十人を取材したが、ウラが取れなかった。その際、吉田本の出版先は、こうNHK側に説明した。
「あれは小説ですよ」
非常にシンプルな結論だ。吉田清治のデビュー作『朝鮮人慰安婦と日本人』(新人物往来社S52年刊)も、第二作『私の戦争犯罪』(三一書房S57年刊)も、ノンフィクションではなく、架空戦記だった。
▼物語的に地味だったデビュー作
小説が何故、ドキュメント作品と扱われたのか…それも理由は単純だ。著者の吉田清治が自らノンフィクションだと言い張っていたからである。出版社側も表向き否定することはなかった。
しかし、実録作品にしては最初から奇妙だった。吉田清治とはペンネームで、本名は吉田雄兎という。まず、個人体験を基にしたノンフィクション作品で無名の新人が筆名を使うケースは珍しい。
加えて、吉田本の場合は「戦後30年以上を経て当事者が初めて告発した」ことが最大のセールスポイントだった。登場人物の仮名表記は有り得るが、“勇気ある告発者”までが本名を隠すのは不自然である。
▼TBSは吉田精治と報道(H4年頃)
他にも吉田は「東司「栄司」といった筆名を使い、本名を明かすことはなかった。歴史家が作品中の“史実”に違和感を覚えても、実名が判らない以上、追跡は困難。それが吉田本の仕掛けの一つでもあった。
吉田の小説に登場する「私」は創作された人物に過ぎない。そして、作者もまた架空の存在に近い正体不明の人物だった。
【小説と認める勇気はなし】
「何が目的でこんな作り話を書くんでしょうか」(『昭和史の謎を追う・下』文春文庫498頁)
済州島の地元紙『済民新聞』の文化部長は92年3月、訪ねてきた日本人にそう聞き返した。現地を訪れたのは、歴史家の秦郁彦氏だ。地元メディアの素朴な疑問に対し、秦氏は答えに窮したという。
▼吉田本に疑問投げ掛ける地元紙の書評(89年)
この時の現地調査で、吉田清治の嘘は完全に暴かれた。ストーリーに登場する逸話の裏付けが何一つ発見されなかったのである。物語のハイライトである「慰安婦狩り」そのものが創作だと判明した瞬間だ。
「著書は小説だったという声明を出したらどうか?」
秦氏は電話で直接、吉田清治にそう勧めた。現地調査の結果が産経新聞や『正論』で大きく取り上げられてから既に数年後のことだ。しかし、吉田清治は突っぱねた。
「私にもプライドはあるし、八十五歳にもなって今さら…このままにしておきましょう」(『慰安婦と戦場の性』新潮選書246頁)
▼秦郁彦氏H25年12月(産経)
吉田清治に“訂正”を求めたのは、歴史真実派だけではなかった。捏造派の生き残り、吉見義明も吉田に「誇張部分の訂正」と原資料だと主張する「妻の日記」の公開を要請したが、同様に拒まれた。
「私どもも吉田清治証言が正しいというふうには言っていないわけですね。私の書きました本『従軍慰安婦』でも吉田証言は一切取り上げておりません」(『歴史教科書への疑問』展転社224頁)
▼吉田の口封じを謀った吉見善明(NYT)
吉見善明は、吉田の小説を著作に引用しなかったことが自慢だ。吉田本がフィクション作品であることを暴いた決定打は、秦氏の現地調査だが、それ以前に吉見らは疑いを抱いていたと推測できる。
吉田清治が済州島に乗り込んで「慰安婦狩り」を行なったという記述が、デビュー作では「昭和19年4月」なのに対し、2作目では「昭和18年5月」と異なる。単純な設定ミスがあったのだ。
そして、小説内で披瀝される経歴も嘘と虚飾に満ちていた。
【吉田が元軍人というデマ】
吉田清治はデビュー作で「本籍地は山口県」と記しているが、実際は福岡県芦屋町西浜。そして上京して都内の大学に通ったという。朝日新聞は吉田の学歴を法政大卒と報道したが、明らかな詐称だった。
また秦郁彦氏に対しては法政大中退と説明していたが、同大学には在籍記録が存在しない。この学歴詐称だけでも吉田清治が生粋のペテン師であることが判る。職歴に至ってはなおさらだ。
▼吉田清治こと吉田雄兎(撮影日不明)
昭和14年から約1年間、吉田は日系キャリアの中華航空上海支店で営業所主任を務めていたと自己紹介する。だが、元中華航空の関係者で吉田を記憶している者は皆無だった。主任を誰も覚えていないのである。
秦氏が精緻に経歴を追って事実確認が出来たのは、戦中に吉田清治が労務報国会という半官半民の組織で働いていたことだけだった。これが「慰安婦狩りの実行部隊」として小説に登場する組織だ。
▼衝撃シーンを加味した小説第二作
吉田清治について「元日本軍人」と解説されるケースが多く見られた。ウィキペディアでも誤った説明が訂正されず、残っている。吉田雄兎が所属していた労務報国会は、軍とは一切関係のない団体である。
労務報国会は、日雇い労働者の適正配置を促進する目的で昭和17年に設立された。荒っぽい沖仲士などの労務者と供給・斡旋する業者らの特殊な組織。そこで吉田は下関支部の動員部長だった自称する。
▼動員部長の役職は真偽不明(TBS)
秦氏の調査で、当時の吉田を知る人物が複数確認された。組織にいたことは事実だ。同時に、吉田の自称ノンフィクションに最初の疑問が呈されたのも、この組織だった。
「慰安婦狩の命令は西部軍→山口県知事→下関警察署長→吉田のラインで来たとしているが、関係者はこのような命令系統はありえないと否定する」(『昭和史の謎を追う・下』文春文庫498頁)
西部軍とは中国・四国・九州を管轄する帝国陸軍の大組織だ。その司令官からの命令書を吉田が受け取ったというのだ。プロット段階で話が荒唐無稽すぎた…焦点の慰安婦狩りシーンは全て創作である。
史実どころか自分史をも嘘で塗り固めた吉田清治。その人生で最も不可解なかたちで登場するのが、吉田の息子だ。
【突然現れた4歳下の“息子”】
金永達(キム・ヨンダル)という息子が吉田清治のデビュー作『朝鮮人慰安婦と日本人』で紹介されている。もちろん日本人ではなく、朝鮮人。そして、この名前もまた仮名だ。
実名は、李貞郁(リ・ジョンウク)。秦氏への説明によると、吉田は昭和12年4月に、この李貞郁を養子に迎え入れたという。不自然で唐突すぎる縁組みだ。
▼秦氏が作成した正誤表(前掲書より)
この時、大正2年生まれの吉田雄兎は24歳。設定では大学卒業直後の独身者だ。一方の李貞郁は、大正6年生まれの20歳だった。4歳年下の朝鮮人をいきなり養子として入籍させたとうのである。
吉田の小説では、息子は同じ昭和12年に満州に渡って日本人教師と結婚。そして陸軍に入隊し日支事変で戦死する。実際とは大きく異なるフィクション上の無駄な盛り上げエピソードだ。
「養子にした李貞郁は、戦後は日本人として生活していたので、差別を避けるため金永達の仮名を用い、戦死していたことにしておいた」(『慰安婦と戦場の性』244頁)
▼南鮮で涙の謝罪演じる吉田(92年)
嘘が暴かれてから4年後の平成8年、吉田は秦氏にそう明かした。悲劇的な息子の戦死シーンは完全な創作だった。それでも吉田清治は、著作がフィクションであることを認めようとしなかった。
吉田本は一事が万事、こんな調子である。秦氏の質問に対し、吉田の息子・李貞郁は昭和17年に妻帯し、58年に死亡したと答えている。また生前の職業は、労働組合の幹部だったという。
奇妙なストーリーだ。朝鮮人を養子に迎えるには、相応の背景なり理由があるはずだが、吉田は何も語っていない。24歳の独身男が朝鮮青年を養子にするという異常事態に親兄弟ら縁者は反対しなかったのか?
養子縁組までの事情を深く探れば、吉田清治の正体が見えてくるかも知れない。
【1人目の吉田雄兎は死んでいた】
吉田清治とは何者なのか…プロフィールを調査していた秦郁彦氏は、学歴を辿る過程で、衝撃的な事実に出くわす。吉田雄兎は、戦前に死亡していたのだ。
昭和初頭、吉田雄兎は地元福岡の門司市立商業高等学校に入学した。同校は大正7年創立の伝統校で、現在は福岡県立門司大翔館高校へ名称を変更している。
その門司市立商高の昭和6年度卒業生名簿には、吉田雄兎「死亡」と記されていたのだ。何らかのミスがあったようには思えない。不明ではなく、ハッキリと死亡だ。
▼秦氏が作成した正誤表(前掲書より)
我が国の戸籍制度は戦前から厳格で、軽々に市民を死亡扱いとすることはない。公的な資料とも言える公立校の卒業名簿で死亡者になっていたことは、素性を探る上でスルーできない。
福岡は吉田の出身地である。親兄弟・親類縁者が身近に居れば、卒業名簿で「死亡」と誤表記される事態には至らないだろう。非常に不自然である。実際の戸籍上では、どのような扱いなのか興味が尽きない。
そして、高校での死亡扱いから40年余り、吉田雄兎の本名を持つ、異形の架空戦記作家が世に現れる。果たして、吉田清治の筆名を名乗る男と卒業名簿で死亡扱いだった吉田雄兎は同一人物なのか…
▼南鮮で記者会見する吉田清治(92年)
「成り済まし」「背乗り」というキーワードが浮かぶのは筆者だけではないだろう。物証は何一つないが、ズバリ直言しておこう。吉田清治は在日朝鮮人である可能性が存在するのだ。
吉田が24歳の時に養子にした李貞郁は、実の弟なのではないか? 密かに九州に渡った朝鮮人が死亡扱いの日本人の戸籍を乗っ取り、そして実弟を養子として入籍した…そんなストーリーだと辻褄が合う。
吉田本には、両親や他の家族にまつわるエピソードが殆ど登場しない。偽りの個人史の片隅に出てくるのは、唐突に養子にした“息子”李貞郁と昭和19年5月に結婚した妻のフサエだ。
▼吉田清治こと吉田雄兎(読売)
ドキュメントを偽装する小説として、少年時代や家族の逸話をバッサリ削ることは構成的に不自然。渡日前だった為に吉田清治は、少年期について描写することが出来なかったのではないか。
いったい、吉田清治こと吉田雄兎は何処から来て、何処に消えたのか…うっすらと寒気を覚える吉田ミステリーには、まだ続きがあった。
【闇から生まれ闇に消えた男】
平成26年の現在、吉田清治は生きている。反日ファシストの「心の中」とかファンタジーではなく、この現代社会で生きている。正確に言えば、死亡が確認されていないのである。
吉田清治こと吉田雄兎の生年月日は、大正2年(1913年)10月15日。実に100歳を超えている。生きていても決して不思議ではない年齢だ。
しかし、今世紀に入ってぷっつりと沙汰が途絶えた。秦郁彦氏が自白を引き出したのが、最新の発言になるかも知れない。16年前のことである。当時、吉田雄兎は85歳と話していた。
▼23年前の吉田清治(TBS)
22年前の映像を見て判るように、すでに高齢化が著しい。一般論として、この後20年以上も命を永らえているとは想像できないのだ。もし、今も生きているなら吉田雄兎は、どこに居るのか…
養護施設で暮らしている可能性もあるだろうが、それを示唆する情報も皆無だ。稀代のダークヒーローとして盛んに取り上げた反日メディアも、吉田の消息について一切触れていない。
マイク・ホンダ策謀が発動中の頃、どこかの報道機関が吉田清治を取り上げると考えていたが、結局、吉田がメディアに登場することはなかった。完全に消えてしまったのだ…
▼南鮮に招かれた吉田清治(92年)
我が国では年間に約1000人程が行旅死亡人として埋葬される。行旅死亡人とは、行き倒れ人など身元不明の死亡者。ドヤ街を転々とし、身寄りもIDカードも持たず、ひっそり他界する者も少なくない。
だが、吉田は住所不定の労務者とは違う。著作権所有者は、個人情報満載の「著作権台帳」を活用すれば追跡が容易い。そして、著作権切れを判定する必要から、死亡年月日の確認は重要なのだ。
それでも出版元を介したおぼしき情報もない。ミステリーである。専門分野であるにせよ、吉田清治はUNリポートにも名を刻む著名人。そして反日陣営が頼る“唯一の加害側証言者”である。
▼日本人として謝罪した吉田清治(92年)
この反日VIPが、捏造慰安婦騒ぎが拡大し続ける中、現代の日本社会で十数年も隠棲することが可能なのか…まるで闇に消えてしまったかのようだ。
生まれも育ちも末期までも、その人生すべてが曖昧である。正体不明の詐欺師・吉田清治こと吉田雄兎。ハッキリと残っているのは、この男の捏造話で我が国が受けた大きな傷跡だけだ。
〆
最後まで読んで頂き有り難うございます
クリック1つが敵に浴びせる銃弾1発となります
↓

****************
【side story】
吉田清治に李貞郁なる養子の息子がいた事実や高校の卒業名簿に死亡と記載されていた件は、別に新しい発見ではなく、秦郁彦氏の学術書『慰安婦と戦場の性』(初版H11年)に全て記されているものです。
しかしながら、秦さんも異常な養子縁組に敢えて言及しないし、もちろん捏造派は完全スルー。忘れ去られている感もあるので、取り上げてみました。24歳の独身男が20歳の朝鮮青年をいきなり養子として入籍するという状況は、どうしても理解不能です。しかも学校側の記録では一度死んでいるし…在日成り済まし説がこれまでメジャーじゃなかったのは、不自然なレベルかと。
他にも当エントリは『慰安婦と戦場の性』を全面的に引用しています。慰安婦研究の重要文献と呼ばれるものですが、15年前の出版とあって、ホンダ騒動など新しめの動きは含まれていません。
その中、我らが山際澄夫さんが新著『すべては朝日新聞から始まった『慰安婦問題』」を上梓されました。
米国内の碑文設置策動からグレンデール以降の反撃ターン。朝日新聞がどう史実を歪め、今も延焼させているのか。そして、南鮮が隠すベトナムの悪行まで詳細に記述。慰安婦問題の新しいバイブルの誕生です。
詐欺師と呼ぶには影響が余りにも大き過ぎる。小さな反日の火を煽る為に創られた物語は、我が国と南鮮の決定的な断絶を生み出し、米国を巻き込む大火となった。
捏造慰安婦問題の火の粉が舞い上がった平成4年。NHK山口放送局は、吉田清治の“証言”に基づいた番組を企画、数十人を取材したが、ウラが取れなかった。その際、吉田本の出版先は、こうNHK側に説明した。
「あれは小説ですよ」
非常にシンプルな結論だ。吉田清治のデビュー作『朝鮮人慰安婦と日本人』(新人物往来社S52年刊)も、第二作『私の戦争犯罪』(三一書房S57年刊)も、ノンフィクションではなく、架空戦記だった。
▼物語的に地味だったデビュー作
小説が何故、ドキュメント作品と扱われたのか…それも理由は単純だ。著者の吉田清治が自らノンフィクションだと言い張っていたからである。出版社側も表向き否定することはなかった。
しかし、実録作品にしては最初から奇妙だった。吉田清治とはペンネームで、本名は吉田雄兎という。まず、個人体験を基にしたノンフィクション作品で無名の新人が筆名を使うケースは珍しい。
加えて、吉田本の場合は「戦後30年以上を経て当事者が初めて告発した」ことが最大のセールスポイントだった。登場人物の仮名表記は有り得るが、“勇気ある告発者”までが本名を隠すのは不自然である。
▼TBSは吉田精治と報道(H4年頃)
他にも吉田は「東司「栄司」といった筆名を使い、本名を明かすことはなかった。歴史家が作品中の“史実”に違和感を覚えても、実名が判らない以上、追跡は困難。それが吉田本の仕掛けの一つでもあった。
吉田の小説に登場する「私」は創作された人物に過ぎない。そして、作者もまた架空の存在に近い正体不明の人物だった。
【小説と認める勇気はなし】
「何が目的でこんな作り話を書くんでしょうか」(『昭和史の謎を追う・下』文春文庫498頁)
済州島の地元紙『済民新聞』の文化部長は92年3月、訪ねてきた日本人にそう聞き返した。現地を訪れたのは、歴史家の秦郁彦氏だ。地元メディアの素朴な疑問に対し、秦氏は答えに窮したという。
▼吉田本に疑問投げ掛ける地元紙の書評(89年)
この時の現地調査で、吉田清治の嘘は完全に暴かれた。ストーリーに登場する逸話の裏付けが何一つ発見されなかったのである。物語のハイライトである「慰安婦狩り」そのものが創作だと判明した瞬間だ。
「著書は小説だったという声明を出したらどうか?」
秦氏は電話で直接、吉田清治にそう勧めた。現地調査の結果が産経新聞や『正論』で大きく取り上げられてから既に数年後のことだ。しかし、吉田清治は突っぱねた。
「私にもプライドはあるし、八十五歳にもなって今さら…このままにしておきましょう」(『慰安婦と戦場の性』新潮選書246頁)
▼秦郁彦氏H25年12月(産経)
吉田清治に“訂正”を求めたのは、歴史真実派だけではなかった。捏造派の生き残り、吉見義明も吉田に「誇張部分の訂正」と原資料だと主張する「妻の日記」の公開を要請したが、同様に拒まれた。
「私どもも吉田清治証言が正しいというふうには言っていないわけですね。私の書きました本『従軍慰安婦』でも吉田証言は一切取り上げておりません」(『歴史教科書への疑問』展転社224頁)
▼吉田の口封じを謀った吉見善明(NYT)
吉見善明は、吉田の小説を著作に引用しなかったことが自慢だ。吉田本がフィクション作品であることを暴いた決定打は、秦氏の現地調査だが、それ以前に吉見らは疑いを抱いていたと推測できる。
吉田清治が済州島に乗り込んで「慰安婦狩り」を行なったという記述が、デビュー作では「昭和19年4月」なのに対し、2作目では「昭和18年5月」と異なる。単純な設定ミスがあったのだ。
そして、小説内で披瀝される経歴も嘘と虚飾に満ちていた。
【吉田が元軍人というデマ】
吉田清治はデビュー作で「本籍地は山口県」と記しているが、実際は福岡県芦屋町西浜。そして上京して都内の大学に通ったという。朝日新聞は吉田の学歴を法政大卒と報道したが、明らかな詐称だった。
また秦郁彦氏に対しては法政大中退と説明していたが、同大学には在籍記録が存在しない。この学歴詐称だけでも吉田清治が生粋のペテン師であることが判る。職歴に至ってはなおさらだ。
▼吉田清治こと吉田雄兎(撮影日不明)
昭和14年から約1年間、吉田は日系キャリアの中華航空上海支店で営業所主任を務めていたと自己紹介する。だが、元中華航空の関係者で吉田を記憶している者は皆無だった。主任を誰も覚えていないのである。
秦氏が精緻に経歴を追って事実確認が出来たのは、戦中に吉田清治が労務報国会という半官半民の組織で働いていたことだけだった。これが「慰安婦狩りの実行部隊」として小説に登場する組織だ。
▼衝撃シーンを加味した小説第二作
吉田清治について「元日本軍人」と解説されるケースが多く見られた。ウィキペディアでも誤った説明が訂正されず、残っている。吉田雄兎が所属していた労務報国会は、軍とは一切関係のない団体である。
労務報国会は、日雇い労働者の適正配置を促進する目的で昭和17年に設立された。荒っぽい沖仲士などの労務者と供給・斡旋する業者らの特殊な組織。そこで吉田は下関支部の動員部長だった自称する。
▼動員部長の役職は真偽不明(TBS)
秦氏の調査で、当時の吉田を知る人物が複数確認された。組織にいたことは事実だ。同時に、吉田の自称ノンフィクションに最初の疑問が呈されたのも、この組織だった。
「慰安婦狩の命令は西部軍→山口県知事→下関警察署長→吉田のラインで来たとしているが、関係者はこのような命令系統はありえないと否定する」(『昭和史の謎を追う・下』文春文庫498頁)
西部軍とは中国・四国・九州を管轄する帝国陸軍の大組織だ。その司令官からの命令書を吉田が受け取ったというのだ。プロット段階で話が荒唐無稽すぎた…焦点の慰安婦狩りシーンは全て創作である。
史実どころか自分史をも嘘で塗り固めた吉田清治。その人生で最も不可解なかたちで登場するのが、吉田の息子だ。
【突然現れた4歳下の“息子”】
金永達(キム・ヨンダル)という息子が吉田清治のデビュー作『朝鮮人慰安婦と日本人』で紹介されている。もちろん日本人ではなく、朝鮮人。そして、この名前もまた仮名だ。
実名は、李貞郁(リ・ジョンウク)。秦氏への説明によると、吉田は昭和12年4月に、この李貞郁を養子に迎え入れたという。不自然で唐突すぎる縁組みだ。
▼秦氏が作成した正誤表(前掲書より)
この時、大正2年生まれの吉田雄兎は24歳。設定では大学卒業直後の独身者だ。一方の李貞郁は、大正6年生まれの20歳だった。4歳年下の朝鮮人をいきなり養子として入籍させたとうのである。
吉田の小説では、息子は同じ昭和12年に満州に渡って日本人教師と結婚。そして陸軍に入隊し日支事変で戦死する。実際とは大きく異なるフィクション上の無駄な盛り上げエピソードだ。
「養子にした李貞郁は、戦後は日本人として生活していたので、差別を避けるため金永達の仮名を用い、戦死していたことにしておいた」(『慰安婦と戦場の性』244頁)
▼南鮮で涙の謝罪演じる吉田(92年)
嘘が暴かれてから4年後の平成8年、吉田は秦氏にそう明かした。悲劇的な息子の戦死シーンは完全な創作だった。それでも吉田清治は、著作がフィクションであることを認めようとしなかった。
吉田本は一事が万事、こんな調子である。秦氏の質問に対し、吉田の息子・李貞郁は昭和17年に妻帯し、58年に死亡したと答えている。また生前の職業は、労働組合の幹部だったという。
奇妙なストーリーだ。朝鮮人を養子に迎えるには、相応の背景なり理由があるはずだが、吉田は何も語っていない。24歳の独身男が朝鮮青年を養子にするという異常事態に親兄弟ら縁者は反対しなかったのか?
養子縁組までの事情を深く探れば、吉田清治の正体が見えてくるかも知れない。
【1人目の吉田雄兎は死んでいた】
吉田清治とは何者なのか…プロフィールを調査していた秦郁彦氏は、学歴を辿る過程で、衝撃的な事実に出くわす。吉田雄兎は、戦前に死亡していたのだ。
昭和初頭、吉田雄兎は地元福岡の門司市立商業高等学校に入学した。同校は大正7年創立の伝統校で、現在は福岡県立門司大翔館高校へ名称を変更している。
その門司市立商高の昭和6年度卒業生名簿には、吉田雄兎「死亡」と記されていたのだ。何らかのミスがあったようには思えない。不明ではなく、ハッキリと死亡だ。
▼秦氏が作成した正誤表(前掲書より)
我が国の戸籍制度は戦前から厳格で、軽々に市民を死亡扱いとすることはない。公的な資料とも言える公立校の卒業名簿で死亡者になっていたことは、素性を探る上でスルーできない。
福岡は吉田の出身地である。親兄弟・親類縁者が身近に居れば、卒業名簿で「死亡」と誤表記される事態には至らないだろう。非常に不自然である。実際の戸籍上では、どのような扱いなのか興味が尽きない。
そして、高校での死亡扱いから40年余り、吉田雄兎の本名を持つ、異形の架空戦記作家が世に現れる。果たして、吉田清治の筆名を名乗る男と卒業名簿で死亡扱いだった吉田雄兎は同一人物なのか…
▼南鮮で記者会見する吉田清治(92年)
「成り済まし」「背乗り」というキーワードが浮かぶのは筆者だけではないだろう。物証は何一つないが、ズバリ直言しておこう。吉田清治は在日朝鮮人である可能性が存在するのだ。
吉田が24歳の時に養子にした李貞郁は、実の弟なのではないか? 密かに九州に渡った朝鮮人が死亡扱いの日本人の戸籍を乗っ取り、そして実弟を養子として入籍した…そんなストーリーだと辻褄が合う。
吉田本には、両親や他の家族にまつわるエピソードが殆ど登場しない。偽りの個人史の片隅に出てくるのは、唐突に養子にした“息子”李貞郁と昭和19年5月に結婚した妻のフサエだ。
▼吉田清治こと吉田雄兎(読売)
ドキュメントを偽装する小説として、少年時代や家族の逸話をバッサリ削ることは構成的に不自然。渡日前だった為に吉田清治は、少年期について描写することが出来なかったのではないか。
いったい、吉田清治こと吉田雄兎は何処から来て、何処に消えたのか…うっすらと寒気を覚える吉田ミステリーには、まだ続きがあった。
【闇から生まれ闇に消えた男】
平成26年の現在、吉田清治は生きている。反日ファシストの「心の中」とかファンタジーではなく、この現代社会で生きている。正確に言えば、死亡が確認されていないのである。
吉田清治こと吉田雄兎の生年月日は、大正2年(1913年)10月15日。実に100歳を超えている。生きていても決して不思議ではない年齢だ。
しかし、今世紀に入ってぷっつりと沙汰が途絶えた。秦郁彦氏が自白を引き出したのが、最新の発言になるかも知れない。16年前のことである。当時、吉田雄兎は85歳と話していた。
▼23年前の吉田清治(TBS)
22年前の映像を見て判るように、すでに高齢化が著しい。一般論として、この後20年以上も命を永らえているとは想像できないのだ。もし、今も生きているなら吉田雄兎は、どこに居るのか…
養護施設で暮らしている可能性もあるだろうが、それを示唆する情報も皆無だ。稀代のダークヒーローとして盛んに取り上げた反日メディアも、吉田の消息について一切触れていない。
マイク・ホンダ策謀が発動中の頃、どこかの報道機関が吉田清治を取り上げると考えていたが、結局、吉田がメディアに登場することはなかった。完全に消えてしまったのだ…
▼南鮮に招かれた吉田清治(92年)
我が国では年間に約1000人程が行旅死亡人として埋葬される。行旅死亡人とは、行き倒れ人など身元不明の死亡者。ドヤ街を転々とし、身寄りもIDカードも持たず、ひっそり他界する者も少なくない。
だが、吉田は住所不定の労務者とは違う。著作権所有者は、個人情報満載の「著作権台帳」を活用すれば追跡が容易い。そして、著作権切れを判定する必要から、死亡年月日の確認は重要なのだ。
それでも出版元を介したおぼしき情報もない。ミステリーである。専門分野であるにせよ、吉田清治はUNリポートにも名を刻む著名人。そして反日陣営が頼る“唯一の加害側証言者”である。
▼日本人として謝罪した吉田清治(92年)
この反日VIPが、捏造慰安婦騒ぎが拡大し続ける中、現代の日本社会で十数年も隠棲することが可能なのか…まるで闇に消えてしまったかのようだ。
生まれも育ちも末期までも、その人生すべてが曖昧である。正体不明の詐欺師・吉田清治こと吉田雄兎。ハッキリと残っているのは、この男の捏造話で我が国が受けた大きな傷跡だけだ。
〆
最後まで読んで頂き有り難うございます
クリック1つが敵に浴びせる銃弾1発となります
↓

****************
【side story】
吉田清治に李貞郁なる養子の息子がいた事実や高校の卒業名簿に死亡と記載されていた件は、別に新しい発見ではなく、秦郁彦氏の学術書『慰安婦と戦場の性』(初版H11年)に全て記されているものです。
しかしながら、秦さんも異常な養子縁組に敢えて言及しないし、もちろん捏造派は完全スルー。忘れ去られている感もあるので、取り上げてみました。24歳の独身男が20歳の朝鮮青年をいきなり養子として入籍するという状況は、どうしても理解不能です。しかも学校側の記録では一度死んでいるし…在日成り済まし説がこれまでメジャーじゃなかったのは、不自然なレベルかと。
他にも当エントリは『慰安婦と戦場の性』を全面的に引用しています。慰安婦研究の重要文献と呼ばれるものですが、15年前の出版とあって、ホンダ騒動など新しめの動きは含まれていません。
その中、我らが山際澄夫さんが新著『すべては朝日新聞から始まった『慰安婦問題』」を上梓されました。
米国内の碑文設置策動からグレンデール以降の反撃ターン。朝日新聞がどう史実を歪め、今も延焼させているのか。そして、南鮮が隠すベトナムの悪行まで詳細に記述。慰安婦問題の新しいバイブルの誕生です。
この記事へのコメント
反日メディアは黙殺。
「谷口元一」も反日メディアは黙殺。
http://youtu.be/v2Muesz1BM4
池田大作も平成22年5月の創価学会本部幹部会以降、
創価学会内の公式行事を全て欠席。
反日メディアは黙殺。
中国ウォッチャーの評論家、宮崎正弘氏はいう。
「中国では、安重根はまったく知られていません。
その人物の記念館がなぜできたのかというと、習近平国家主席にとっても
反日が大きなテーマだからです。
朴槿恵大統領が昨年6月に訪中した際、習近平国家主席に石碑の建立を要請し、
これに中国側が便乗して実現したもので、中国の反日と韓国の反日が手を結んだ
結果であり、韓国の反日を中国がバックアップするという意思の表われといえます」
朴槿恵氏は大統領就任以来、急速に中国との距離を縮める一方で、
激しい反日政策を繰り広げている。
しかも韓国の反日攻勢は「中韓連合による国際宣伝」にシフトしつつあるのだ。
韓国政府がいま狙っているのは、慰安婦証言の世界遺産化だ。
韓国の女性家族省は1月15日、元慰安婦らの証言資料などを
ユネスコの世界記憶遺産に登録するための作業を進めていると発表。
「中国や東南アジア諸国と連携していく」とぶちあげた。
元慰安婦の証言については虚偽が多いことが明らかになっており、
強制連行の確たる証拠はいまだ見つかっていない。
にもかかわらず、国内での反日宣伝だけに飽き足らず、いわゆる“従軍慰安婦”という
虚構を海外に向けて発信して既成事実化をはかり、日本を追い詰めようとしているのだ。
週刊ポスト 2014年2月7日号
http://www.news-postseven.com/archives/20140127_238431.html
うさみのりや(謹慎中) @zettonu
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なんだか東京新聞が田母神さんにインタビューもしてないのにインタビュー記事を作ったから確認してくれとか変なこと言ってきて閉口中。大川隆法みたいな感じ。
@hyakutanaoki
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毎日新聞では、籾井氏の発言に対し、「経営委員側からは『外交問題に発展しかねない。選んだ側の責任も問われる』と失望の声がもれた」とあるが、少なくとも経営委員である私は何も言っていないぞ。誰が失望したんや!名前書けや。http://ln.is/yahoo.co.jp/LINxw …
作ったうえで、しょっちゅうMPが見回りに来てたんじゃなかったっけ?
見回りに来るのは金のトラブルと、客(婉曲表現)の乱暴で女が危ないから。
でソ連は強姦推奨で…
一番「マシ」だろ。なあ、米兵向け慰安所作ってた韓国と、強姦許してた中国。
スーザン・ブラウンミラーのルポによると、米軍キャンプ内にも慰安所が設置されていた。
地方ボスがベトナム女性を集めて送り込んでいたが、ペンタゴンも黙認していた。
それを時事・共同通信=電通(韓国)が日本で報道
「アメリカが怒ってる」「アベガー」ww
NYTから続く反日メディアの手口です
なんでも朝鮮人という人種はいないらしく、今朝鮮半島にいるのは支那出身だと偽っているエベンキ族という原始族の末裔だのこと。韓国にある奇妙なトーテムポールとか棒を立てる風習とか、確かに元漢民族や満州族などの支那文化とは一線を画す何か別の種族ですね。彼らにとっては知らたくない国家秘密らしくWikiに載せても速攻で消さるみたいですが、激しくどうでもいいですね。
日本という国における「楽して稼げる職業」は在日・帰化人が握ってるし(笑)
金あるから在日でも日本人女とやりまくり。さらにはレイプしても全然バレないw
あと数年で日本の参政権も取得できるし(爆)
俺達はもうお前達みたいに毎日毎日職業とか将来とか金の心配なんかしなくていいんだよw
バックに民潭がついてるし、働かなくても行政から月20万の金入ってくるしねw
今俺達が考えてるのはもっと大きいこと。
いかにしてこの日本という国をボコボコにいじめ抜いてやるか、ってこと。
つまり、日本の中に、俺たち朝鮮人、韓国人の血を増やして在日を増やす。
んで日本人を少数派にしてその日本人をいじめたおす。んでこの国を乗っ取る。
今はもうその最終段階に入ってるわけ。
平和ボケした危機感ゼロのお間抜け日本人は気づいてないがw
例えば韓国ブーム。あれは在日が作ったって知ってる?
あれだけ大規模なブームを作れるくらい、もう日本の中で在日の力は最強なんだよ。
自分達を地獄に導いてるとも知らずに毎日毎日テレビで韓国をヨイショしてくれる日本人w
韓国ブームのお陰で在日や韓国人へのマイナスイメージがプラスイメージになった。
そして日本人が韓国人や在日と結婚する数も圧倒的に多くなった。
つまりもうあと30年で日本は完全に在日主体の社会になるよ。
たった100万人に満たない在日に使われる1億人の日本人w
お前ら糞日本人に一生地獄の生活を見せてやるよw
どう?ムカムカする?(爆)
でもせいぜい今みたいに2ちゃんで数十人ぐらいがチョン死ねって言うぐらいだろうね(爆)
小坂さんは「パチンコ廃止!」のリーダーです。
http://bshid.blog79.fc2.com/blog-entry-198.html
だから、田母神としお氏が東京都知事に就任したら、
東京五輪までにパチンコ全廃してくれると期待したいます。
同誌によると、女性は番組スタッフからデヴィ夫人を挑発するよう求められ、出演料20万円を受け取っていたという。
さらに200万円で示談が成立したが、その一部を同局が負担したとしている。
T 捏造
B ばかりで
S すみません
いや~~、こりゃ~~いかんぜよ!
ついに日本の反日電通マスゴミが、都知事選に関する「プランC」を発動したらしい。
「報道しな自由」っていうやつだナ。
これは立派な選挙妨害、選挙違反じゃないのかいナ?
興味ふかいのでここにもメモさせてもらおう。
これである。
【緊急速報】マスコミが舛添要一の汚職報道禁止を決定!!!!! マスコミ内部文書がネットに流出!!!!! 桝添陣営がマスコミに圧力との噂も!!!!!
朝 「歴史認識についてですが」
N 「NHK会長としての記者会見だから言いません」
朝 「ひと言お願いできませんか」
N 「ダメです」
朝 「そこを何とか」
N 「じゃあ個人としての見解ですが、慰安婦は日本だけの話じゃない」
朝 「それはNHK会長としての意見ですか」
N 「違います、個人的なものです」
朝 「ここはNHK会長としての記者会見の場ですよ」
N 「じゃあ取り消します」
朝 「いや、言ってしまったことは取り消せません」
NHKの会長をハメるための誘導質問なわけです。
そして「あくまでも個人的な意見として」言ったものを
会長としての意見として報じたわけです。
そしてわざわざ「取り消せません」とその場で言っていることからも
ハメるために誘導した事は明らかです。
と言ったところでしょうか。
朝日新聞としては慰安婦問題が朝日新聞によるでっち上げから始まった事が
国民の共通認識として広がってしまうと
今まで散々慰安婦問題で日本を貶めて来た分
朝日新聞に対する国民からのしっぺ返しが来ますから
なんとしてもそういう思想の人間は社会的に葬り去りたいという所もあるのでしょう。
かつてNHKに圧力を掛けたと安倍晋三と中川昭一を批判していたくせに
今回こうやって露骨にNHKに圧力をかけて言論弾圧しようというのですから
相変わらずのダブスタぶりに日本のマスゴミの末期的な状態がうかがえます。
ダブスタと言えば、
小泉政権のときに「小泉を支持してるのはB層!」
とか言って小馬鹿にしてた人たちが今回は小泉にすりよって細川支持のようで、
滑稽とはこのことでしょう。
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【田母神通信】 #田母神としお 事務所に、嫌がらせの様な不審な物が多数届いております。写真は一例です。法的措置をとることを検討中。袋に入ったスマホと液体? http://p.twipple.jp/itrC9 破かれた旭日旗の紙 http://p.twipple.jp/nNm43
2014年1月29日 10:38 PM
1.本人は元総連系在日
→ 偽装帰化で日本政府国家公務員
日本政府の情報を北朝鮮に提供していた工作員
2.朝鮮総連幹部のほとんどは処刑された張成沢派だったこと
内閣府職員は総連の指令で張成沢と関連した工作に従事
資金隠匿など?
3.南北統一会議を理由に金正恩派にソウルに呼び出される
拷問 → 処刑
4.総連幹部への見せしめのために派手に日本沿岸で遺体を投棄。
北海道で、故中川昭一代議士の意志を受け継ぐ政治家と言われている小野寺まさる北海道議会議員は、ツイッターで次のとおり述べている。
小野寺まさる
@onoderamasaru
韓国で消息を絶った内閣府の職員が変死をした状態でゴムボートに乗せられ漂流…近年、尖閣諸島担当の内閣府職員も部屋で謎の変死をし、離島担当の防衛省中枢の幹部は夜中の参議院議員会館周辺でバイクに跳ねられ職員だけが死亡した。不自然な二つの事案は自殺と事故で片付けられたが、続き過ぎている。
16:51 - 2014年1月31日
近年、尖閣諸島担当の内閣府職員も部屋で謎の変死をし、離島担当の防衛省中枢の幹部は夜中の参議院議員会館周辺でバイクに跳ねられ職員だけが死亡した。不自然な二つの事案は自殺と事故で片付けられたが、続き過ぎている。
尖閣諸島担当の内閣府職員とは、昨年4月1日に渋谷のマンションで自殺したとされる内閣情報調査室内閣参事官の男性(50)のことか。
そして、夜中にバイクに跳ねられ死亡したのも、離島担当の防衛省中枢の幹部だったという。
上記の2件については、支那の工作員による犯行の可能性が十分にある。
今回、韓国は、支那を見習って、韓国に入国した内閣府職員を拉致し、見せしめか何かのために殺害した可能性もある。
韓国中央情報部(KCIA)は、日本国内(東京のホテル)でも金大中を拉致して韓国に連行したくらいだから、韓国内(ソウルのホテル)で日本人を拉致するくらい簡単にできるし、実行もする。
1月上旬、職員は、韓国に入国し、すぐに韓国中央情報部(KCIA)によって拉致され、行方不明となり、会議にも出席できなかった。
1月12日、日本政府が教科書の学習指導要領解説書に竹島が「わが国固有の領土」と明記する方針を固める。
(韓国政府は、1月12日より以前に、竹島に係る上記情報を把握していた
1月12日~13日、韓国中央情報部(KCIA)は、1月上旬に拉致していた職員を毒殺あるいは窒息死させた。
1月18日、韓国中央情報部(KCIA)は、日本政府への見せしめのため、職員に、韓国製の服を着せ、多数の韓国通貨ウォン紙幣を所持させ、韓国製の大きなゴムボートに乗せ、航行中の船が発見できるように、北九州市の沖で、ゴムボートを漂流させた。
1月28日、日本は教科書への竹島領有権明記を正式決定。
韓国は「直ちに撤回すること」を要求し、「日本政府がこれに応じない場合、それ相応の措置を断固として取っていく」と恫喝!
韓国は「見せしめ」のために1月18日に職員の遺体をゴムボートに乗せて航行中の船に発見させていたものの、日本ではいつまで経っても内閣府職員が変死体で発見されたことが報道されなかった。
1月31日、韓国が朝日新聞に情報提供。
1月31日、朝日新聞が第7管区海上保安本部への取材し、「漂流していたゴムボートに乗っていたとみられる内閣府の男性職員(30)が遺体で見つかっていたことがでわかった」と報道。
国会にて、本人の身元を証人喚問すべきです。
これが背乗りだとすると、日本を揺るがす大事件です。
日本国民を追い詰めた張本人が「在日」だったということですから。
吉田清治は2000年7月に死去してるみたいですね。
しかし、朝日新聞による慰安婦報道に対しては一切謝罪せず強制連行はあったと今まで通りの広義の強制連行説を主張する厚顔無恥。
粉々に墓石を砕きに行く。
同性婚法制化も在日のゲイリブによる、
合法的な日本国籍と戸籍乗っ取り(現代の背乗り)でもあり。
在日のセクシャルマイノリティと左翼が結託し、
在日韓国人同性愛者に選挙権を付与し、その後に日本人に成り済ました帰化した元在日が得た選挙権による外国人参政権の法制化も見据えた、
日本に韓国政府と在日支配下の傀儡政権の左翼政権樹立させるための野望のためであり、
反日の国々と韓国が日本侵略計画の道具の一環のひとつである。
【ゲイリブ利権】でググってみろよ。
ろくでもないLGBTのクレーマーゲイリブの怪しい胡散臭い疑惑や実態が、
検索結果で出てくるぞ。
在日同性愛者人権団体(セクシャルマイノリティの差別や性的少数者及びLGBT差別を叫ぶ奴等)在日性的マイノリティ人権団体左翼プロ市民ゲイリブの正体を日本人なら警戒しないとな。
ちなみに教えて欲しいんですが、植民地政策をとった国家で、植民地において自国語ではなく(その植民地の)現地語を優先し、自国民が(植民地の)現地語を習ってたな~んて酔狂なことした国ってあったんですかね?
先の戦時中、患酷職業売春婦として軍について行った女性の証言で「だまされて連れてこられた。」というのが圧倒的に多い気がしたのですが、果たして、当時、実質「植民地政策」を考えてた戦前日本の中枢の軍部にどれだけ現地語(ハングル)を話せる人たちがいたんですかね?
だますのは余程現地語が流暢じゃないと無理だと思うんですが。
つまり、自分の言いたいことは、黄氏が言っているように軍部に協力した「業者」がいて、その業者(の末裔)が(日本軍からもらった金で財閥を築き上げ)その後自らのした過ちを全部日本に濡れ衣を着せようと画策していたと考えるとものすごくすべての流れのつじつまが合うと思うということです。
もちろん、斑病、肛野、破吐病とか逝っちゃった、まとももな思考をもってない政治屋もいると思いますが…。
李貞郁の存在を裏付けるものが何もないように見える。