世界一有名な売春婦=金学順…迷走履歴が明かす嘘八百
時代はどんどん金学順。朝日植村一家&福島瑞穂のプロデュースで一斉を風靡した世界一有名な売春婦が、劇的な復活を遂げた。勤続4ヵ月の“新人”売春婦は、どうやって頂点に登り詰めたのか?
「あれは玉が悪かった」
仙谷由人の同志で弁護士の高木健一は蔑むように、そう吐き捨てた。「玉」と呼んだのは、福島瑞穂と結託し、東京訴訟の原告に祭り上げた金学順(キム・ハクスン)である。
「もう少し説得力の慰安婦はいないのか?」
歴史家の秦郁彦氏は、高木健一に直接、訊ねた。自称慰安婦を主役にした公判がスタートして1年が過ぎた頃だった。秦氏の問い掛けに対し、高木健一は弁護するどころか、完全に同意した。
「実は私もそう思って韓国へ探しに行ってきた。追加分は良いものばかりですよ」(秦郁彦著『慰安婦と戦場の性』180頁)
▼南鮮で表彰される高木健一2011年(聯合)
当時から原告側弁護団も、金学順を三流タレント扱いにしていたことが良く判る。捏造派が言い触らす“強制連行”伝説。そこに金学順を組み込むことは難しかったのだ。
「キーセンだから慰安婦にされても仕方ないというわけではないと考えた」
匿名ながら金学順を世界デビューさせた朝日新聞の植村隆は、8月5日の紙面で、そう言い訳する。大学講師とは思えない子供じみた二重否定で、何を言っているのか、さっぱり解らない。
▼金学順(中央)と朝日植村ママ
朝日新聞は、複数の記事で金学順の経歴から「キーセン」を抹殺したことについて「意図的ではない」と嘘を吐いた。問題の91年8月11日付記事は、金学順の経歴について、こう書き出す。
「中国東北部で生まれ、17歳の時、だまされて慰安婦にされた」
いきなり誕生から約17年後にワープ。反日団体から受け取った“証言デープ”で、キーセン関連の重要エピソードを「聞いていない」と強弁する。テープに「入っていない」と表現しないのが詐術だ。
▼朝日新聞の捏造居直り特集(産経)
この期に及んで言い逃れする朝日新聞の8月5日の居直り特集は、新たな捏造記事に他ならない。報道機関にとっては、寧ろ読者や視聴者よりも「キーセン」の経歴は重要なものなのだ。
【朝日の「学校」設定は破綻】
例えば…10代半ばの女子学生が集団暴行を受ける事件が飛び込んで来たら、報道機関は色めき立つ。大事件だ。それに対し、同じ暴行被害者がベテラン風俗嬢だった場合はどうか…
そんな事件は相手にもしない。共同や時事が配信しても、デスクはゲラをゴミ箱に叩き捨てる。人権被害としては同質でも、ニュース価値はゼロに等しいのだ。その点を報道記者は充分に心得ている。
▼91年8月14日の実名・顔出し会見
「生活が苦しくなった母親によって十四歳のときに平壌にあるキーセンの検番に売られていった」(91年8月15日付ハンギョレ新聞)
南鮮の反日極左紙・ハンギョレ新聞は、そう伝えた。植村隆の匿名捏造記事を受け、その4日後に金学順は記者会見に登場。南鮮メディアは大々的に報じ、朝日新聞の付け火から一瞬で大火となった。
「私は四十円で売られて、キーセンの修行を何年かして、日本の軍隊のあるところに行きました」(前掲紙)
日本メディアも殺到した8月14日の会見で、金学順はそう語った。植村記事にあった“慰安婦狩り=強制連行”は、影も形もない。それを朝日新聞は「女子挺身隊として戦場に連行」と捏造したのだ。
▼捏造だらけの朝日新聞・植村隆記事
植村隆が独占入手した“証言テープ”にも、40円で売られたエピソードは確実に入っていたはずである。しかし、朝日新聞側は「聞いていない」との詭弁を弄し、更に、検番を「学校」と言い張る…
14歳の金学順が送り込まれたという平壌の「箕城券番」は実在した。だが、ごく一部の妓生が高級官吏の接待係だったのは、冊封体制の時代で、昭和10年代のキーセンは単なる売春婦に様変わりしていた。
検番とは、花柳街にある芸妓の詰め所だ。お呼ばれ外出中か待機中か、それぞれの番号札を検め、管理する施設だった。検番では芸事を習うカリキュラムもあったが、それを「学校」と呼ぶのは不正確だ。
▼朝日発狂のサピオ9月号記事
朝日新聞の言い訳には矛盾がある。金学順の母親は、娘を「キーセン学校」に入れることで40円の大金をゲットした。日本時代の朝鮮の私立学校は、子供を入学させると父兄に大金をプレゼントするのか?
そんな気前の良い学校は今も昔も地球上に存在しない。金学順は、身売りされ、直ぐにキーセンとして働き始めたのだ。捏造派が問題視する“奴隷状態”が発生した瞬間である。
参照:7月31日付エントリ『あなたの町の性奴隷さま…UNゴミ機関の捏造舞台裏』
「金さんは1939年春ごろ、平壌で、地区の世話役に『金になる仕事がある』と誘われ、平壌駅から日本の軍人たちと一緒に軍用列車に乗せられた」(91年12月6日付朝日新聞)
▼東京会見で号泣演技の金学順91年12月
朝日新聞は金学順の会見後も、キーセンの経歴を隠した。そして、キーセンに売った養父を「地区の世話役」と表記する。金学順自身が養父と説明しているにも関わらず、隠したのだ。
これは、騙して連行したという人物が朝鮮人だった事実を隠す為のトリックと考えられる。「地区の世話役」とすることで、連行した人物が日本人か軍と繋がる人物だった可能性に含みを残すものでもある。
▼反日デモの先頭に立つ金学順(91年)
朝日新聞は、徹底して金学順の半生を脚色し、悲劇のヒロインに仕立て上げる一方、慰安婦業を辞めた後について知らぬ振りをする。だが、そこには14歳で朝鮮人に売られた少女の成功物語があった。
【まさかの上海ドリーム実現】
「物売りの朝鮮人業者に『自分も朝鮮人だ。逃がしてほしい』と頼み、夜中に脱出した」(91年12月6日付朝日新聞)
随分とアッサリ、脱出できるものだ。南鮮政府が公式認定したドキュメンタリー映画では、慰安所の周囲には高圧電線が張り巡らされ、何人もが脱出を試みて死んだという設定だ。話が全然、違う。
▼感電死続出と証言…映画『63years on』
参照:7月9日付エントリ『誰も知らない性奴隷の村…妄想ドキュメントの盲点』
挺対協が編纂した『証言集』によると、その朝鮮人業者・趙元讃が取り扱っていた「売物」は、アヘンだったという。ヤクの売人と風俗嬢…そんなカップルは、今でも結構ありがちな印象を受ける。
実際は脱出したのではなく、朝鮮人の売人が身請けしたか、自主退職したのではないか。注目は、金学順が「連行」されてから「脱出」するまでの期間だ。これが意外に知られていない。
▼バックのイラスト他も嘘だらけ…
「この時は、ちょうど兵隊の外出のない時でした。それで、その次の日の晩に連れてもらって逃げたのです。『慰安所』には春に行き、3ヵ月以上いて秋に逃げました」(伊藤孝司編著『破られた沈黙』88頁)
短い。短過ぎる。植村隆の記事では「数ヶ月」になっていたが、それは決して1ヵ所の慰安所という意味ではない。誇大表現てんこ盛りの挺対協製証言集でさえ「4ヵ月」としている。
▼証言集の粗製乱造も失敗原因
捏造派は「実働期間の長短は本質ではない」と叫ぶだろう。しかし、4ヵ月では、短期アルバイトの範疇だ。マグダラのマリアと並ぶ世界一有名な売春婦は、たった4ヵ月の勤続経験しかなかったのだ。
「新人」と銘打って別の店舗で働き始めても、決して詐欺とは言い切れない短さである。だが、金学順は別の風俗店で働く必要に迫られなかった。
「金学順はこの趙について南京、蘇州そして上海へ 逃げた。上海で二人は夫婦となり、フランス租界の中で中国人相手の質屋をしながら身を隠し、解放のときまで生活をした」
▼訴状にある金学順の証言一部
福島瑞穂が担当弁護士となった裁判の訴状には、そう描写されている。なんと金学順は、貸金業のオーナーになっていたのだ。店舗オープンの時期は、「慰安所脱走」の約2年後と見られる。
当時の上海は、アジア有数の大都市で、中でもフランス租界は中心部に位置していた。NYやパリと同じ憧れのビッグ・シティ。そこで金学順は、自分の店を構えるというドリームを実現したのである。
▼1930年代の上海バンド
しかも、潤沢な手持ち資金を必要する貸金業。通常、ヤクの売人が貯金を溜めることが難しいことから、出資したのは金学順だ。「奴隷状態」の直後とも言える時期に、大都市で個人の店を開業した…
唯一の合理的な説明は、金学順がしこたま儲けていたというものだ。加えて、店舗名は「松井洋行」。南京攻略戦の英雄・松井石根大将に因んだネーミングがどうか知らないが、「洋行」は日本語である。
14歳で売り飛ばされた少女が、数年後には花の都で店舗オーナーに登り詰める…誰がどう見ても圧倒的なサクセス・ストーリー、正に細腕一代記。捏造派が宣伝する性奴隷とは余りにも掛け離れた存在だ。
【父親を抗日英雄に設定変更】
本当に、どこからが嘘で、どこまでが嘘なのか判らない。証言のたびに設定を間違える自称慰安婦の典型が、金学順だ。まず「連行された時期」から1939年説と1941年説が入り交じる。
そのデタラメぶりは、秦郁彦氏さえ研究意欲を失い、お抱え弁護士団も頭を抱えるほどだ。しかし、証言毎の設定変更は、周辺調査の進捗状況に合わせ、シナリオ・ライターが書き換えたものと考えられる。
▼南鮮TV生出演の金学順
「200-300人の部隊がいる中国南部の慰安所に連れて行かれた」
捏造が一切ないと朝日新聞が断言した植村隆の記事は「中国南部」と明記した。植村は“証言テープ”の内容を翻訳したはずである。ところが、記事掲載3日後の顔出し記者会見で、いきなり基本設定が狂う。
「検番の義父に連れられていった所が、華北の日本軍三○○名余りがいる部隊だった」(91年8月15日付ハンギョレ新聞)
シナ南部と北支では、ポルトガルとノルウェーくらいの距離と風土の違いがある。植村記事以降、金学順は「北支・満州有力説」を唱えることになるが、時は具体的な地名を挙げることもあった。
▼訴状にある金学順の証言一部
訴状には「鉄壁鎮」「カッカ県」の文字が踊る。「カッカ」とは「獲鹿県」で、現在の河北省・鹿泉市に該当する。しかし、具体名を挙げることは、証言の信憑性より、リスクを高めるだけだった。
地域と時期を指定すれば、そこに我が軍のどの部隊が展開していたか、記録から辿ることが出来る。自称慰安婦の大半が、慰安施設の所在地についてトボケるのは、戦記との照合を恐れる為だ。
次いで、金学順は「部隊と共に転々とした」と言い始める。これは地名をごまかす一方、慰安婦は部隊に同伴したとする「従軍慰安婦」の設定に沿ってシナリオ改編した結果である。
▼米部隊と共に移動する洋公主(50年代)
そして、一度大胆に変更した設定は、もうブレーキ不能で、荒唐無稽な脚色が罷り通るようになる。訴状では、金学順は「中国の地理も言葉も解らず、逃亡できなった」という設定になっていた。
ところが挺対協の証言集では、シナ語が出来た為にスパイと疑われ、北京の食堂から日本軍に連行されるストーリーに激変する。更に「実は中共軍の密偵だった」と口走ったこともあった。
そして、いつの間にか実の父親は、独立運動の闘士で我が軍と交戦して殺されたという劇画調の設定も出現。しまいには“光復軍”と同じ船で戦後の南鮮に凱旋したと言い始める。
▼東京公演の派手な演技(92年12月)
証言の食い違いを真面目に検証するレベルではない。それでも、父親が独立運動の闘士・抗日運動の戦士という設定は、今の南鮮では「元は深窓の令嬢だった説」と並ぶポピュラーなものだ。
朝日植村遺族会や挺対協、ナヌムの家が大衆受けするよう反日要素を濃くしてシナリオを改造したとは言え、さすが先駆者・金学順である。
【御英霊の冒涜を絶対許さない】
第一次捏造慰安婦ブームを駆け抜けた金学順は、97年の暮れに他界する。来日時にシュプレヒコールを挙げていた姿からは、急な健康悪化は予想できなかった。
ちなみに、ビルマで宝石を買い漁ったダイヤモンド・マダムこと文玉珠も、96年10月に急死している。クマラスワミ報告が出た直後だった。共に70代前半…謀略説が出ても不思議ではない。
▼金学順の葬儀97年12月(WNW)
一世を風靡した元祖・韓流アクトレスの割に、その最期は静かだった。しかし、何しろ「20世紀最大の人権侵害」の告発者である。挺対協は、世界に向けて金学順の遺言を公表した。
「絶対に日本の『償い金』を受け取ってはならない」
俗物過ぎて草不可避。遺言なのにタイムリー過ぎて草不可避。当時は、挺対協が総力を挙げて村山詐欺基金からのボーナス拒絶運動展開していた。最後の最後、骨の髄まで反日キャンペーンに活用された格好だ。
▼ナヌムの家の金学順像
「結局、おばあちゃん、なんで出てきたの?」
「いや、わしは寂しかったんだよ」
金学順は、名乗り出た理由について、そう言った。この有名な会話は、現地で面会拒否に遭った西岡力教授に、当時コーディネーターだった在日女性が明かしたものだ。
西岡教授によると、この在日女性は日本メディアの金学順取材を繰り返し案内する過程で、違和感を覚えたという。本音である。「寂しかった」という理由は、本当だろう。
▼報道陣殺到の東京会見91年12月(共同)
どこかジーンと来る話…ではない。嘘吐き女のお涙頂戴話に耳を傾ける必要はないのだ。第一次安倍政権の時、私たち真実派は、壮絶な敗北を喫した。ミッドウェー海戦並みの大惨敗である。
負けた原因のひとつは、「自称慰安婦も恵まれない身の上だった」などと一定の理解を示したことだ。その頃は反日メディアも説教口調で風当たりも強かったが、同情を示す姿勢など全くの無意味だった。
▼「17歳の頃に戻して下さい」w
最近の欧米巡業などを見ても解る通り、連中のウソは年々悪質化し、ホロコースト説を振りかざす程、乱暴で無知で卑猥なものに変わった。背後団体の影響だけではなく、自称軍団も自らモンスター化したのだ。
▼水曜デモで大暴れする自称女
同情を寄せる余地など端からない。南太平洋で、熱帯の密林で我が軍の兵士が絶望的な戦いに挑んでいた時、金学順は大都会の店舗オーナーに成り上がっていた…余裕の金満ライフ満喫である。
カネ欲しさにウソで御英霊を冒涜し続ける連中に遠慮は無用、配慮も考慮も逆効果。ウソはウソ、売春婦は売春婦だ。
〆
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参考文献:
西岡力著『増補新版・よくわかる慰安婦問題』(草思社文庫)
参照:
山際澄夫さんブログ8月8日『朝日新聞が30年以上放置していた吉田清冶のウソ証言全経過!』
村山詐欺基金HP『アジア太平洋戦争韓国人犠牲者補償請求 訴状』(PDF)
「あれは玉が悪かった」
仙谷由人の同志で弁護士の高木健一は蔑むように、そう吐き捨てた。「玉」と呼んだのは、福島瑞穂と結託し、東京訴訟の原告に祭り上げた金学順(キム・ハクスン)である。
「もう少し説得力の慰安婦はいないのか?」
歴史家の秦郁彦氏は、高木健一に直接、訊ねた。自称慰安婦を主役にした公判がスタートして1年が過ぎた頃だった。秦氏の問い掛けに対し、高木健一は弁護するどころか、完全に同意した。
「実は私もそう思って韓国へ探しに行ってきた。追加分は良いものばかりですよ」(秦郁彦著『慰安婦と戦場の性』180頁)
▼南鮮で表彰される高木健一2011年(聯合)
当時から原告側弁護団も、金学順を三流タレント扱いにしていたことが良く判る。捏造派が言い触らす“強制連行”伝説。そこに金学順を組み込むことは難しかったのだ。
「キーセンだから慰安婦にされても仕方ないというわけではないと考えた」
匿名ながら金学順を世界デビューさせた朝日新聞の植村隆は、8月5日の紙面で、そう言い訳する。大学講師とは思えない子供じみた二重否定で、何を言っているのか、さっぱり解らない。
▼金学順(中央)と朝日植村ママ
朝日新聞は、複数の記事で金学順の経歴から「キーセン」を抹殺したことについて「意図的ではない」と嘘を吐いた。問題の91年8月11日付記事は、金学順の経歴について、こう書き出す。
「中国東北部で生まれ、17歳の時、だまされて慰安婦にされた」
いきなり誕生から約17年後にワープ。反日団体から受け取った“証言デープ”で、キーセン関連の重要エピソードを「聞いていない」と強弁する。テープに「入っていない」と表現しないのが詐術だ。
▼朝日新聞の捏造居直り特集(産経)
この期に及んで言い逃れする朝日新聞の8月5日の居直り特集は、新たな捏造記事に他ならない。報道機関にとっては、寧ろ読者や視聴者よりも「キーセン」の経歴は重要なものなのだ。
【朝日の「学校」設定は破綻】
例えば…10代半ばの女子学生が集団暴行を受ける事件が飛び込んで来たら、報道機関は色めき立つ。大事件だ。それに対し、同じ暴行被害者がベテラン風俗嬢だった場合はどうか…
そんな事件は相手にもしない。共同や時事が配信しても、デスクはゲラをゴミ箱に叩き捨てる。人権被害としては同質でも、ニュース価値はゼロに等しいのだ。その点を報道記者は充分に心得ている。
▼91年8月14日の実名・顔出し会見
「生活が苦しくなった母親によって十四歳のときに平壌にあるキーセンの検番に売られていった」(91年8月15日付ハンギョレ新聞)
南鮮の反日極左紙・ハンギョレ新聞は、そう伝えた。植村隆の匿名捏造記事を受け、その4日後に金学順は記者会見に登場。南鮮メディアは大々的に報じ、朝日新聞の付け火から一瞬で大火となった。
「私は四十円で売られて、キーセンの修行を何年かして、日本の軍隊のあるところに行きました」(前掲紙)
日本メディアも殺到した8月14日の会見で、金学順はそう語った。植村記事にあった“慰安婦狩り=強制連行”は、影も形もない。それを朝日新聞は「女子挺身隊として戦場に連行」と捏造したのだ。
▼捏造だらけの朝日新聞・植村隆記事
植村隆が独占入手した“証言テープ”にも、40円で売られたエピソードは確実に入っていたはずである。しかし、朝日新聞側は「聞いていない」との詭弁を弄し、更に、検番を「学校」と言い張る…
14歳の金学順が送り込まれたという平壌の「箕城券番」は実在した。だが、ごく一部の妓生が高級官吏の接待係だったのは、冊封体制の時代で、昭和10年代のキーセンは単なる売春婦に様変わりしていた。
検番とは、花柳街にある芸妓の詰め所だ。お呼ばれ外出中か待機中か、それぞれの番号札を検め、管理する施設だった。検番では芸事を習うカリキュラムもあったが、それを「学校」と呼ぶのは不正確だ。
▼朝日発狂のサピオ9月号記事
朝日新聞の言い訳には矛盾がある。金学順の母親は、娘を「キーセン学校」に入れることで40円の大金をゲットした。日本時代の朝鮮の私立学校は、子供を入学させると父兄に大金をプレゼントするのか?
そんな気前の良い学校は今も昔も地球上に存在しない。金学順は、身売りされ、直ぐにキーセンとして働き始めたのだ。捏造派が問題視する“奴隷状態”が発生した瞬間である。
参照:7月31日付エントリ『あなたの町の性奴隷さま…UNゴミ機関の捏造舞台裏』
「金さんは1939年春ごろ、平壌で、地区の世話役に『金になる仕事がある』と誘われ、平壌駅から日本の軍人たちと一緒に軍用列車に乗せられた」(91年12月6日付朝日新聞)
▼東京会見で号泣演技の金学順91年12月
朝日新聞は金学順の会見後も、キーセンの経歴を隠した。そして、キーセンに売った養父を「地区の世話役」と表記する。金学順自身が養父と説明しているにも関わらず、隠したのだ。
これは、騙して連行したという人物が朝鮮人だった事実を隠す為のトリックと考えられる。「地区の世話役」とすることで、連行した人物が日本人か軍と繋がる人物だった可能性に含みを残すものでもある。
▼反日デモの先頭に立つ金学順(91年)
朝日新聞は、徹底して金学順の半生を脚色し、悲劇のヒロインに仕立て上げる一方、慰安婦業を辞めた後について知らぬ振りをする。だが、そこには14歳で朝鮮人に売られた少女の成功物語があった。
【まさかの上海ドリーム実現】
「物売りの朝鮮人業者に『自分も朝鮮人だ。逃がしてほしい』と頼み、夜中に脱出した」(91年12月6日付朝日新聞)
随分とアッサリ、脱出できるものだ。南鮮政府が公式認定したドキュメンタリー映画では、慰安所の周囲には高圧電線が張り巡らされ、何人もが脱出を試みて死んだという設定だ。話が全然、違う。
▼感電死続出と証言…映画『63years on』
参照:7月9日付エントリ『誰も知らない性奴隷の村…妄想ドキュメントの盲点』
挺対協が編纂した『証言集』によると、その朝鮮人業者・趙元讃が取り扱っていた「売物」は、アヘンだったという。ヤクの売人と風俗嬢…そんなカップルは、今でも結構ありがちな印象を受ける。
実際は脱出したのではなく、朝鮮人の売人が身請けしたか、自主退職したのではないか。注目は、金学順が「連行」されてから「脱出」するまでの期間だ。これが意外に知られていない。
▼バックのイラスト他も嘘だらけ…
「この時は、ちょうど兵隊の外出のない時でした。それで、その次の日の晩に連れてもらって逃げたのです。『慰安所』には春に行き、3ヵ月以上いて秋に逃げました」(伊藤孝司編著『破られた沈黙』88頁)
短い。短過ぎる。植村隆の記事では「数ヶ月」になっていたが、それは決して1ヵ所の慰安所という意味ではない。誇大表現てんこ盛りの挺対協製証言集でさえ「4ヵ月」としている。
▼証言集の粗製乱造も失敗原因
捏造派は「実働期間の長短は本質ではない」と叫ぶだろう。しかし、4ヵ月では、短期アルバイトの範疇だ。マグダラのマリアと並ぶ世界一有名な売春婦は、たった4ヵ月の勤続経験しかなかったのだ。
「新人」と銘打って別の店舗で働き始めても、決して詐欺とは言い切れない短さである。だが、金学順は別の風俗店で働く必要に迫られなかった。
「金学順はこの趙について南京、蘇州そして上海へ 逃げた。上海で二人は夫婦となり、フランス租界の中で中国人相手の質屋をしながら身を隠し、解放のときまで生活をした」
▼訴状にある金学順の証言一部
福島瑞穂が担当弁護士となった裁判の訴状には、そう描写されている。なんと金学順は、貸金業のオーナーになっていたのだ。店舗オープンの時期は、「慰安所脱走」の約2年後と見られる。
当時の上海は、アジア有数の大都市で、中でもフランス租界は中心部に位置していた。NYやパリと同じ憧れのビッグ・シティ。そこで金学順は、自分の店を構えるというドリームを実現したのである。
▼1930年代の上海バンド
しかも、潤沢な手持ち資金を必要する貸金業。通常、ヤクの売人が貯金を溜めることが難しいことから、出資したのは金学順だ。「奴隷状態」の直後とも言える時期に、大都市で個人の店を開業した…
唯一の合理的な説明は、金学順がしこたま儲けていたというものだ。加えて、店舗名は「松井洋行」。南京攻略戦の英雄・松井石根大将に因んだネーミングがどうか知らないが、「洋行」は日本語である。
14歳で売り飛ばされた少女が、数年後には花の都で店舗オーナーに登り詰める…誰がどう見ても圧倒的なサクセス・ストーリー、正に細腕一代記。捏造派が宣伝する性奴隷とは余りにも掛け離れた存在だ。
【父親を抗日英雄に設定変更】
本当に、どこからが嘘で、どこまでが嘘なのか判らない。証言のたびに設定を間違える自称慰安婦の典型が、金学順だ。まず「連行された時期」から1939年説と1941年説が入り交じる。
そのデタラメぶりは、秦郁彦氏さえ研究意欲を失い、お抱え弁護士団も頭を抱えるほどだ。しかし、証言毎の設定変更は、周辺調査の進捗状況に合わせ、シナリオ・ライターが書き換えたものと考えられる。
▼南鮮TV生出演の金学順
「200-300人の部隊がいる中国南部の慰安所に連れて行かれた」
捏造が一切ないと朝日新聞が断言した植村隆の記事は「中国南部」と明記した。植村は“証言テープ”の内容を翻訳したはずである。ところが、記事掲載3日後の顔出し記者会見で、いきなり基本設定が狂う。
「検番の義父に連れられていった所が、華北の日本軍三○○名余りがいる部隊だった」(91年8月15日付ハンギョレ新聞)
シナ南部と北支では、ポルトガルとノルウェーくらいの距離と風土の違いがある。植村記事以降、金学順は「北支・満州有力説」を唱えることになるが、時は具体的な地名を挙げることもあった。
▼訴状にある金学順の証言一部
訴状には「鉄壁鎮」「カッカ県」の文字が踊る。「カッカ」とは「獲鹿県」で、現在の河北省・鹿泉市に該当する。しかし、具体名を挙げることは、証言の信憑性より、リスクを高めるだけだった。
地域と時期を指定すれば、そこに我が軍のどの部隊が展開していたか、記録から辿ることが出来る。自称慰安婦の大半が、慰安施設の所在地についてトボケるのは、戦記との照合を恐れる為だ。
次いで、金学順は「部隊と共に転々とした」と言い始める。これは地名をごまかす一方、慰安婦は部隊に同伴したとする「従軍慰安婦」の設定に沿ってシナリオ改編した結果である。
▼米部隊と共に移動する洋公主(50年代)
そして、一度大胆に変更した設定は、もうブレーキ不能で、荒唐無稽な脚色が罷り通るようになる。訴状では、金学順は「中国の地理も言葉も解らず、逃亡できなった」という設定になっていた。
ところが挺対協の証言集では、シナ語が出来た為にスパイと疑われ、北京の食堂から日本軍に連行されるストーリーに激変する。更に「実は中共軍の密偵だった」と口走ったこともあった。
そして、いつの間にか実の父親は、独立運動の闘士で我が軍と交戦して殺されたという劇画調の設定も出現。しまいには“光復軍”と同じ船で戦後の南鮮に凱旋したと言い始める。
▼東京公演の派手な演技(92年12月)
証言の食い違いを真面目に検証するレベルではない。それでも、父親が独立運動の闘士・抗日運動の戦士という設定は、今の南鮮では「元は深窓の令嬢だった説」と並ぶポピュラーなものだ。
朝日植村遺族会や挺対協、ナヌムの家が大衆受けするよう反日要素を濃くしてシナリオを改造したとは言え、さすが先駆者・金学順である。
【御英霊の冒涜を絶対許さない】
第一次捏造慰安婦ブームを駆け抜けた金学順は、97年の暮れに他界する。来日時にシュプレヒコールを挙げていた姿からは、急な健康悪化は予想できなかった。
ちなみに、ビルマで宝石を買い漁ったダイヤモンド・マダムこと文玉珠も、96年10月に急死している。クマラスワミ報告が出た直後だった。共に70代前半…謀略説が出ても不思議ではない。
▼金学順の葬儀97年12月(WNW)
一世を風靡した元祖・韓流アクトレスの割に、その最期は静かだった。しかし、何しろ「20世紀最大の人権侵害」の告発者である。挺対協は、世界に向けて金学順の遺言を公表した。
「絶対に日本の『償い金』を受け取ってはならない」
俗物過ぎて草不可避。遺言なのにタイムリー過ぎて草不可避。当時は、挺対協が総力を挙げて村山詐欺基金からのボーナス拒絶運動展開していた。最後の最後、骨の髄まで反日キャンペーンに活用された格好だ。
▼ナヌムの家の金学順像
「結局、おばあちゃん、なんで出てきたの?」
「いや、わしは寂しかったんだよ」
金学順は、名乗り出た理由について、そう言った。この有名な会話は、現地で面会拒否に遭った西岡力教授に、当時コーディネーターだった在日女性が明かしたものだ。
西岡教授によると、この在日女性は日本メディアの金学順取材を繰り返し案内する過程で、違和感を覚えたという。本音である。「寂しかった」という理由は、本当だろう。
▼報道陣殺到の東京会見91年12月(共同)
どこかジーンと来る話…ではない。嘘吐き女のお涙頂戴話に耳を傾ける必要はないのだ。第一次安倍政権の時、私たち真実派は、壮絶な敗北を喫した。ミッドウェー海戦並みの大惨敗である。
負けた原因のひとつは、「自称慰安婦も恵まれない身の上だった」などと一定の理解を示したことだ。その頃は反日メディアも説教口調で風当たりも強かったが、同情を示す姿勢など全くの無意味だった。
▼「17歳の頃に戻して下さい」w
最近の欧米巡業などを見ても解る通り、連中のウソは年々悪質化し、ホロコースト説を振りかざす程、乱暴で無知で卑猥なものに変わった。背後団体の影響だけではなく、自称軍団も自らモンスター化したのだ。
▼水曜デモで大暴れする自称女
同情を寄せる余地など端からない。南太平洋で、熱帯の密林で我が軍の兵士が絶望的な戦いに挑んでいた時、金学順は大都会の店舗オーナーに成り上がっていた…余裕の金満ライフ満喫である。
カネ欲しさにウソで御英霊を冒涜し続ける連中に遠慮は無用、配慮も考慮も逆効果。ウソはウソ、売春婦は売春婦だ。
〆
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参考文献:
西岡力著『増補新版・よくわかる慰安婦問題』(草思社文庫)
参照:
山際澄夫さんブログ8月8日『朝日新聞が30年以上放置していた吉田清冶のウソ証言全経過!』
村山詐欺基金HP『アジア太平洋戦争韓国人犠牲者補償請求 訴状』(PDF)
この記事へのコメント
みずほ:いやそんなことはないですよ。
(場が凍りつく)
質問者:そんなことはないんですね?
みずほ:そんなことはないです。
質問者:…福島さんがお若い時に、済州島に調査に行かれて慰安婦の方の調査をなさったようなんですが…
みずほ:いや、一切していません。
質問者:えーと、嬢ちゃん嬢ちゃんおいでおいで、なんていう…映像を私は見たんですが、
みずほ:いや、それは、あ り ま せ ん 。
質問者:は??えっ… (絶句)
隣の男:じゃ、それはそれで次…
質問者:わかりました。そうしますと、私がみた福島みずほさんがおっしゃっていた済州島の調査の映像というのは、虚偽ですね??
みずほ:ていうか、行ったこともなければそういう映像もないはずですよ?
質問者:ありました。
隣の男:それが何かを今ここで議論してもしょうがないです、
みずほ:てか私はそれを見てませんし、はい。
質問者:わかりました。ありがとうございます。
http://nicoviewer.net/sp/sm23866968
http://www.youtube.com/watch?v=OPYJCY-7_sY
http://nicoviewer.net/sp/sm24249866
BBAがどう発狂しようとも「朝鮮人は皆ウソつき。彼らの話は全て捏造」「売春婦は売春婦」という一言に尽きますよね。