社稷の臣・安倍総理に捧ぐ非論理的弔辞
血の気を失い、言葉を失った。感情を説明するに相応しい形容詞はなく、荒んだ廃墟の世界に自分が再び放り出されたことを知った。万感の思いを込め、ここに哀悼の誠を捧げる。
例えばカンボジアのアンコール・ワット、例えばイランのペルセポリス。滅びた都市の遺跡を訪れた時、何とも表現し難い不思議な気分に捉われた経験があった。
私は無類の廃墟好きだが、単に荒廃した風景に惹かれる感覚とは違う。そこに立った時、先人の息吹が聴こえるような、遥か昔の栄華が瞼の裏に浮かぶような、不可思議な“記憶の再生”に憑かれるのだ。
▽イラン・シラーズのペルセポリス遺跡(file)
SF等で確立したジャンルのひとつに、ポスト・アプカリプスがある。人類が滅亡した後の世界を描いた物語。自分が興味を抱き、何故か憧れる世界観に近い。
「日本は危ういのではなく、既に終わっている。その認識が重要だ」
ごく最近に参加した講演会で文藝評論家の小川榮太郎氏は、そう強く言葉を紡いだ。この先に暗い将来が待ち受けているのではない。我が国は既に「終わっている」と定義する。
皮肉には聞こえなかった。背後に形而上学的な深い意味があり、自らの理解が及んでいないだけかも知れないが、小川氏の発言に愕然とし、次いで突飛な着想を得た。
▽講演する小川榮太郎氏6月29日(関係者撮影)
「これまで自分は、ポスト・アプカリプスの世界を生きてきたのではないか…」
こよなく愛する古き佳き大日本帝国は、生まれる以前に終焉を迎えていた。戦後の平和も経済発展もまやかしで、自分は既に滅んだ世界を漂って来たに過ぎない。栄華は久しく、全て虚像だったのだ。
いつから小川氏が「既に終わった国」と認識していたのか…しかし、ペシミストでもニヒリストでもなかった。ある時、彼は「最後に、この男に賭けて見よう」と決意し、書斎を後にした。
それが安倍晋三総理だった。
【弍】
私は10代の頃に政治や国史に関心を持ったが、多感な時期も含め、自民党が好きではなかった。寧ろ毛嫌いし、打倒すべき対象でもあった。それが変わったのは、西暦が新世紀に移ってからのことだ。
初め、8・15靖国参拝を明言した総裁候補を好ましく思った。自民党にも「骨のある政治家が居るのだな」といった程度の認識だったが、拉致事件急展開の小泉訪朝で大きな変化を遂げる。
策を巡らせ、金正日に自供に追い込んだ独りの傑物が居た。もちろん、官房副長官時代の安倍総理だが、感銘を受けたのは平壌での高度な政治的な駆け引きはない。
▽訪朝時の安倍官房副長官’02年9月(代表)
拉致事件が脚光を浴びる中、関連の様々なエピソードがメディアを賑わせた。その中に、有本ご夫妻が娘の救出を願い、父・安倍晋太郎元外相の事務所を訪ねた逸話があった。昭和63年秋のことだ。
当時、世間的に拉致事件は全く知られていなかった。石岡亨さんからの手紙を携え、有本ご夫妻は娘・恵子さんの身に起きたことを詳しく語った。
同席していた秘書時代の安倍総理は、ご夫妻が話す言葉に強い衝撃を受け、慄然としていた。恐ろしい事件の概要を初めて知らされ、全身が震える。僭越ながら、この時の総理の感情が解る気がする。
▽安倍総理と有本明弘さんH28年(産経)
安倍総理を激烈に支援する切っ掛けとなった出来事である。この逸話を繰り返し語るのは、他でもない、事務所内で震えるように見守る若き日の安倍総理の姿を見た記憶があるのだ。
新聞・雑誌ではなく、地上波の情報系番組だった。やや長尺の拉致事件の特集で、1枚の写真がインサートに使われた。ところが、この鍵となった写真が発見できない。
そんな筈はない。写真には有本ご夫妻の背中と正面を向いた晋太郎元外相が映っていて、安倍総理はテーブルの奥で直立している。その表情は真剣で、少し青褪めているような印象を覚えた。
もう何年も前に、この写真を長い時間を要して探し回り、2年前の夏には動画や英文検索も試みたが、結果は同じだった。存在する証拠は片鱗もないのだ。
過去が書き換えられた別の世界線に迷い込んだような、これがマンデラ・エフェクトと呼ばれるものなのか。いずれにしても、大きな転機をもたらした若き日の安倍総理と再会する術はない。
【参】
警備態勢について言いたい事柄は山ほどある。果たして、走り撃ちした密造銃の小さな手製の弾丸が、首筋の主要な血管に当たるものか、疑問も多い。不運の連鎖で片付けることは出来ないだろう。
詳しい状況を私は知らない。8日の夜にテレビを消してから、ネットの報道系情報にも殆ど触れていないのだ。翌日の産経新聞朝刊もページを捲ることなく、古新聞収納の紙袋に直行した。
あらゆるレベルの論評も不要だ。形式的な弔辞はおろか、故人に浴びせられる禍々しいコメントさえ気に留めることもない。参院選の結果? それが世界史に何らかの影響を及ぼすことがあるのか。
「民主主義の根幹を揺るがす卑劣な蛮行」
現職の首相を筆頭に、大半のメディアや有識者が同趣旨のセリフを口にしている模様だ。古めかしい自動読み上げ機能が作動したかのように温もりがなく、しかも核心を避ける。
ジャッジの刻が迫っていた参院選への関心は、暗殺テロの発生で著しく低下した。それが何を意味するか、報道記者や知識人は誰もが理解しているが、決して語らない。
▽現場に設置された献花台7月9日(時事)
結論から言う。たった1件のテロ事件が、その国の政治状況を一瞬で、劇的に変えたのだ。私達が喪った政治家は国際社会、より具体的にはインド・太平洋全域の安全保障に直結するキーマンだった。
参院選で奮闘した全ての候補者を嘲る意図はない。しかし、どれほど優秀な前議員、新人候補であっても、政治状況を一変させるような人材は存在しないのだ。
本来、政党政治は議員個人に大きく依存せず、無個性なNPC集団でも良い。けれども実際は、傑出した一人の政治家が、強い指導力を発揮し、突き動かす。警備当局は、この現実と向き合っていなかった。
▽靖国演説も最近のことに思えるH25年(撮影筆者)
誤解を恐れずに言う。「テロルの影響力」は国内の敵陣営にも衝撃を与えた。政権当時、捏造紙など反日メディアは疑惑を創作して国民を煽動し、売国野党も相乗りして喚き散らした。
膨大なエネルギーと時間、経費を要し、安倍総理を引き倒そうと陰湿に粘った。だが判明したのは己の無力さで、歴代最長政権を経て、キングメーカーとなった。
それが刹那の凶弾で幕が降りたである。幾万人の悪意ある輩が束になっても、1人のテロリストに敵わない。これは現実で、どこにも教訓はない。
【肆】
その日の昼下がり、言い表せない感情を胸に各局の速報を追った。瞠目したのは、総理が搬送された大学病院の地名クレジットだ。奈良・橿原市とあった。神武天皇ご肇国の地である。
搬送先の病院は橿原神宮の至近距離に位置していた。大通りを挟み、見えるのは神武天皇の畝傍山東北陵。この啓示のような偶然に言及した識者は、私が知る限り、宮崎正弘さんだけだった。
「現代日本の強き指導者は奈良の北辺で撃たれ、橿原に没した」
速報に近いメルマガの記述だ。「神武肇国の大和へ不屈の志と魂は還った」という表題も胸に響く。そして宮崎さんは安倍総理をヤマトタケルに準える。これ程の頌詞、褒め言葉が他にあろうか。
▽橿原神宮に北接する畝傍山東北陵(Wiki)
第12代景行天皇の皇子・ヤマトタケル(日本武尊/倭建命)は、東征の帰り道、伊吹山の悪霊に不意を衝かれ、絶命寸前となる。杖を曳いて歩を進めたが、能煩野で力尽き、薨られた。
ヤマトタケルの東征は、熊襲退治の成功に続く、2度目のお役目だった。安倍総理も首相の大命を2度果たした。野火に包まれるなど様々な苦難を乗り越える姿も似ているが、連想のポイントは違うだろう。
志半ばにして斃れるという圧倒的な悲劇性だ。ヤマトタケルは、我が国の歴史を代表する悲劇の英雄である。息を引き取る直前まで、やまとの国を思う御心も我が民族の琴線に触れる。
「やまとは 国のまほろば たたなづく 青がき 山ごもれる やまとし 美し(やまとは国の中で良いところだ。青い垣根のように連なる山に囲まれたやまとは本当に麗しい)」
望郷の念の中に御国を寿ぐ想いが込められた素晴らしい詠だ。急な報せを受け、きさき(妃、妻)は命の斃れた地に駆け付ける。きさきが御陵を設え、弔おうとしたた時、1羽の白鳥が飛び立った。
八尋白智鳥(やひろしろちどり)である。白鳥に変化されたヤマトタケルは河内の地に舞い降り、そこに御陵が設けられるが、鎮座することなく、再び天空を翔けた。
国史においても異彩を放つ逸話だ。薨去された皇子が御陵を離れ、聖なる鳥に変化するという出来事は、古来から続く死生観とも若干異なるが、各地のフェニックス伝説と重なり、奥深いロマンを感じる。
国の柱石たる英雄、社稷の臣は鎮まることを敢えて拒み、今も青い山河の上を舞っていると夢想する。
俯瞰するその眼の映る景色は、果たして荒廃した世界なのか。そして私達は、天翔る白鳥を見付け出すことが出来るのだろうか。
〆
最後まで読んで頂き有り難うございます
例えばカンボジアのアンコール・ワット、例えばイランのペルセポリス。滅びた都市の遺跡を訪れた時、何とも表現し難い不思議な気分に捉われた経験があった。
私は無類の廃墟好きだが、単に荒廃した風景に惹かれる感覚とは違う。そこに立った時、先人の息吹が聴こえるような、遥か昔の栄華が瞼の裏に浮かぶような、不可思議な“記憶の再生”に憑かれるのだ。
▽イラン・シラーズのペルセポリス遺跡(file)
SF等で確立したジャンルのひとつに、ポスト・アプカリプスがある。人類が滅亡した後の世界を描いた物語。自分が興味を抱き、何故か憧れる世界観に近い。
「日本は危ういのではなく、既に終わっている。その認識が重要だ」
ごく最近に参加した講演会で文藝評論家の小川榮太郎氏は、そう強く言葉を紡いだ。この先に暗い将来が待ち受けているのではない。我が国は既に「終わっている」と定義する。
皮肉には聞こえなかった。背後に形而上学的な深い意味があり、自らの理解が及んでいないだけかも知れないが、小川氏の発言に愕然とし、次いで突飛な着想を得た。
▽講演する小川榮太郎氏6月29日(関係者撮影)
「これまで自分は、ポスト・アプカリプスの世界を生きてきたのではないか…」
こよなく愛する古き佳き大日本帝国は、生まれる以前に終焉を迎えていた。戦後の平和も経済発展もまやかしで、自分は既に滅んだ世界を漂って来たに過ぎない。栄華は久しく、全て虚像だったのだ。
いつから小川氏が「既に終わった国」と認識していたのか…しかし、ペシミストでもニヒリストでもなかった。ある時、彼は「最後に、この男に賭けて見よう」と決意し、書斎を後にした。
それが安倍晋三総理だった。
【弍】
私は10代の頃に政治や国史に関心を持ったが、多感な時期も含め、自民党が好きではなかった。寧ろ毛嫌いし、打倒すべき対象でもあった。それが変わったのは、西暦が新世紀に移ってからのことだ。
初め、8・15靖国参拝を明言した総裁候補を好ましく思った。自民党にも「骨のある政治家が居るのだな」といった程度の認識だったが、拉致事件急展開の小泉訪朝で大きな変化を遂げる。
策を巡らせ、金正日に自供に追い込んだ独りの傑物が居た。もちろん、官房副長官時代の安倍総理だが、感銘を受けたのは平壌での高度な政治的な駆け引きはない。
▽訪朝時の安倍官房副長官’02年9月(代表)
拉致事件が脚光を浴びる中、関連の様々なエピソードがメディアを賑わせた。その中に、有本ご夫妻が娘の救出を願い、父・安倍晋太郎元外相の事務所を訪ねた逸話があった。昭和63年秋のことだ。
当時、世間的に拉致事件は全く知られていなかった。石岡亨さんからの手紙を携え、有本ご夫妻は娘・恵子さんの身に起きたことを詳しく語った。
同席していた秘書時代の安倍総理は、ご夫妻が話す言葉に強い衝撃を受け、慄然としていた。恐ろしい事件の概要を初めて知らされ、全身が震える。僭越ながら、この時の総理の感情が解る気がする。
▽安倍総理と有本明弘さんH28年(産経)
安倍総理を激烈に支援する切っ掛けとなった出来事である。この逸話を繰り返し語るのは、他でもない、事務所内で震えるように見守る若き日の安倍総理の姿を見た記憶があるのだ。
新聞・雑誌ではなく、地上波の情報系番組だった。やや長尺の拉致事件の特集で、1枚の写真がインサートに使われた。ところが、この鍵となった写真が発見できない。
そんな筈はない。写真には有本ご夫妻の背中と正面を向いた晋太郎元外相が映っていて、安倍総理はテーブルの奥で直立している。その表情は真剣で、少し青褪めているような印象を覚えた。
もう何年も前に、この写真を長い時間を要して探し回り、2年前の夏には動画や英文検索も試みたが、結果は同じだった。存在する証拠は片鱗もないのだ。
過去が書き換えられた別の世界線に迷い込んだような、これがマンデラ・エフェクトと呼ばれるものなのか。いずれにしても、大きな転機をもたらした若き日の安倍総理と再会する術はない。
【参】
警備態勢について言いたい事柄は山ほどある。果たして、走り撃ちした密造銃の小さな手製の弾丸が、首筋の主要な血管に当たるものか、疑問も多い。不運の連鎖で片付けることは出来ないだろう。
詳しい状況を私は知らない。8日の夜にテレビを消してから、ネットの報道系情報にも殆ど触れていないのだ。翌日の産経新聞朝刊もページを捲ることなく、古新聞収納の紙袋に直行した。
あらゆるレベルの論評も不要だ。形式的な弔辞はおろか、故人に浴びせられる禍々しいコメントさえ気に留めることもない。参院選の結果? それが世界史に何らかの影響を及ぼすことがあるのか。
「民主主義の根幹を揺るがす卑劣な蛮行」
現職の首相を筆頭に、大半のメディアや有識者が同趣旨のセリフを口にしている模様だ。古めかしい自動読み上げ機能が作動したかのように温もりがなく、しかも核心を避ける。
ジャッジの刻が迫っていた参院選への関心は、暗殺テロの発生で著しく低下した。それが何を意味するか、報道記者や知識人は誰もが理解しているが、決して語らない。
▽現場に設置された献花台7月9日(時事)
結論から言う。たった1件のテロ事件が、その国の政治状況を一瞬で、劇的に変えたのだ。私達が喪った政治家は国際社会、より具体的にはインド・太平洋全域の安全保障に直結するキーマンだった。
参院選で奮闘した全ての候補者を嘲る意図はない。しかし、どれほど優秀な前議員、新人候補であっても、政治状況を一変させるような人材は存在しないのだ。
本来、政党政治は議員個人に大きく依存せず、無個性なNPC集団でも良い。けれども実際は、傑出した一人の政治家が、強い指導力を発揮し、突き動かす。警備当局は、この現実と向き合っていなかった。
▽靖国演説も最近のことに思えるH25年(撮影筆者)
誤解を恐れずに言う。「テロルの影響力」は国内の敵陣営にも衝撃を与えた。政権当時、捏造紙など反日メディアは疑惑を創作して国民を煽動し、売国野党も相乗りして喚き散らした。
膨大なエネルギーと時間、経費を要し、安倍総理を引き倒そうと陰湿に粘った。だが判明したのは己の無力さで、歴代最長政権を経て、キングメーカーとなった。
それが刹那の凶弾で幕が降りたである。幾万人の悪意ある輩が束になっても、1人のテロリストに敵わない。これは現実で、どこにも教訓はない。
【肆】
その日の昼下がり、言い表せない感情を胸に各局の速報を追った。瞠目したのは、総理が搬送された大学病院の地名クレジットだ。奈良・橿原市とあった。神武天皇ご肇国の地である。
搬送先の病院は橿原神宮の至近距離に位置していた。大通りを挟み、見えるのは神武天皇の畝傍山東北陵。この啓示のような偶然に言及した識者は、私が知る限り、宮崎正弘さんだけだった。
「現代日本の強き指導者は奈良の北辺で撃たれ、橿原に没した」
速報に近いメルマガの記述だ。「神武肇国の大和へ不屈の志と魂は還った」という表題も胸に響く。そして宮崎さんは安倍総理をヤマトタケルに準える。これ程の頌詞、褒め言葉が他にあろうか。
▽橿原神宮に北接する畝傍山東北陵(Wiki)
第12代景行天皇の皇子・ヤマトタケル(日本武尊/倭建命)は、東征の帰り道、伊吹山の悪霊に不意を衝かれ、絶命寸前となる。杖を曳いて歩を進めたが、能煩野で力尽き、薨られた。
ヤマトタケルの東征は、熊襲退治の成功に続く、2度目のお役目だった。安倍総理も首相の大命を2度果たした。野火に包まれるなど様々な苦難を乗り越える姿も似ているが、連想のポイントは違うだろう。
志半ばにして斃れるという圧倒的な悲劇性だ。ヤマトタケルは、我が国の歴史を代表する悲劇の英雄である。息を引き取る直前まで、やまとの国を思う御心も我が民族の琴線に触れる。
「やまとは 国のまほろば たたなづく 青がき 山ごもれる やまとし 美し(やまとは国の中で良いところだ。青い垣根のように連なる山に囲まれたやまとは本当に麗しい)」
望郷の念の中に御国を寿ぐ想いが込められた素晴らしい詠だ。急な報せを受け、きさき(妃、妻)は命の斃れた地に駆け付ける。きさきが御陵を設え、弔おうとしたた時、1羽の白鳥が飛び立った。
八尋白智鳥(やひろしろちどり)である。白鳥に変化されたヤマトタケルは河内の地に舞い降り、そこに御陵が設けられるが、鎮座することなく、再び天空を翔けた。
国史においても異彩を放つ逸話だ。薨去された皇子が御陵を離れ、聖なる鳥に変化するという出来事は、古来から続く死生観とも若干異なるが、各地のフェニックス伝説と重なり、奥深いロマンを感じる。
国の柱石たる英雄、社稷の臣は鎮まることを敢えて拒み、今も青い山河の上を舞っていると夢想する。
俯瞰するその眼の映る景色は、果たして荒廃した世界なのか。そして私達は、天翔る白鳥を見付け出すことが出来るのだろうか。
〆
最後まで読んで頂き有り難うございます
この記事へのコメント
安倍元総理が凶弾に斃れる…本当に残念でなりません。高市さんなどこれからの保守系議員に様々な助言をしてほしかったです。
これまで安倍さんに頼り過ぎていた事を反省し、愛国者は一人ひとり自分のできる事をやりましょう
私は自民党員になることを決めました 自民党内の愛国保守勢力を少しでも応援するためです