消えた銃弾と消える報道…公式会見なき“完黙の1ヵ月”
致命傷を与えた最重要の物証は何処かに消えた…新たな大失態について各社は報じてもベタ記事扱い。事件の核心を避ける異様な報道は、1ヵ月続く捜査当局の完全黙秘にも起因する。
「試しに体重を掛けてみたら、簡単にへし曲がってしまった」
元夕刊紙記者は、そう述懐した。札幌パークホテルに宿泊した際、バスルームのカーテンレールを握り、ぶら下がってみたのだという。同ホテルは中川一郎元農水相が亡くなった場所である。
昭和58年1月、中川元農水相は遺体で発見された。当初、死因は心筋梗塞と発表されたが、直ぐに自殺と改められた。北海道警はタオル台の留め具に浴衣の紐を掛け、縊死したと断定。事件性はないとした。
▽市内中心部にある札幌パークホテル(file)
留め具の位置は高さ1メートル。警察当局は過去に類例があり、不自然な点はないと強調したが、夕刊紙記者は納得しなかった。その為、カーテンレールが怪しいと見て、自ら実験した次第である。
遺書はなかった。それでも道警は詳しく検証せず、2日後、遺体は荼毘に付された。中川元農水相は前年秋の党総裁選で敗れ、憔悴した印象を周囲に与えてることもあったが、直接の動機は見当たらない。
▽親台湾を貫いた中川一郎元農水相(file)
謀殺説が浮上するのに時間は掛からなかった。死亡推定時刻の約30分前に電話で話した人物は、元農水相が室内の誰かに受け応えていたと証言。就寝中の夫人以外に、来訪者が居た可能性が高まった。
「噴き出した他殺説や骨肉の争い説からは、意識的に身を避けた。中川と一面織もない評論家が、たちまち『中川謀殺説』を上梓したのには、驚くというよりもあきれた」(『血の政治 青嵐会という物語』198頁)
元農水相と親しかった毎日新聞元常務取締役の河内孝氏は、そう振り返る。週刊誌等はロッキード事件絡みの疑惑や秘書だった鈴木宗男の裏切りについて書き飛ばし、追悼の言葉もなく故人を貶めた。
▽没後に複数発刊された書籍等の一部(amazon)
更にソ連KGBの内通者だったとの説が、国士・中川一郎を敬愛する人々に苦しみを与えた。青嵐会を率いた中川は反共の闘志であり、親中派が支配する自民党にあって保守陣営の希望の星だった。
状況は、やや似通っている。だが、謀殺説が飛び交った39年前のイエロージャーナリズムの方が「マトモだったのではないか」と感じる。
【「消えた銃弾」は30秒のヒマネタ扱い】
「貫通していないが、銃弾はなかった」
警察庁幹部は言葉少なに、そう明言したという。青山繁晴参院議員が7月22日にアップした動画は衝撃的だった。その2日前に開かれた自民党の治安・テロ対策調査会の内容を公にしたものである。
安倍総理を襲った2発の銃弾は、いずれも盲管銃創だった。貫通せずに体内に留まったのである。しかし、6時間に渡る法医解剖でも弾丸は発見されなかった。
「銃弾が見つからなかったとしても捜査に支障はない」
奈良県警本部は、そう開き直る。2発のうち、右鎖骨付近から入ったものは確保したが、致命傷となった左腕を貫いて大動脈を損傷させた弾丸が、何処かに行ってしまったと言うのだ。
▽動画をトレースした犯行時の模様(読売)
「銃器を用いた事件で、銃弾は重要な証拠となる」
警察OBから批判の声も上がる。捜査当局は公判維持に問題はないとするが、致命傷を与えた物証が消失したのだ。被告側弁護団がアクロバティックな論法で不備を突いて来る恐れがある。
右鎖骨付近と左上腕部という物理法則を捻じ曲げたような入射孔も理解が及ばないが、検証は正確な図解説明を待つ必要がある。銀行屋上のスナイパー説は伊藤博文翁のケースに類似し過ぎて逆に引く。
参照:H25年11月23日エントリ『2階のスナイパーと安重根…ロシアが消えた反日史観』
不可解なのは、メディアが「消えた銃弾」に関して殆ど無視していることだ。夕刊フジは最も早く7月25日に記事化したが、青山議員の動画をフォローしただけで、追加の独自取材はない。
4日後の7月29日にNHKが朝刊ニュースで伝えた。ウェブ記事には「関西」の表記がある。ローカル枠のみで、全国枠ではなかったのではないか。当日繰り返したオンエアしたという報告もない。
▽簡潔すぎるMBS(毎日放送)のニュース本記
NHKの報道を受け、関西のTV局が後追いした模様だ。しかし、毎日放送は文字数から想定すると30秒程度。完全なベタ記事、或いはヒマネタ扱いである。
奈良県警で今年1月に起きた“銃弾紛失事件”とは対照的だ。分配ミスだった銃弾5発の誤認が手厚く報じられる一方、戦後最悪の暗殺事件の物証喪失は軽く流される…
銃弾と共に、関連報道も消えたのだ。
【凶弾の総数も被弾数も未だ不明…】
「急に歯切れが悪くなっている」
8月3日に配信された文化人放送局の検証番組で、山岡鉄秀氏が重要な指摘をした。事件当夜の奈良県立医大会見で、銃弾について質問が及んだ際、担当の教授が言い澱んでいたのである。
「あの…弾丸の方は確認が出来ておりませんでした」
それまでとは打って変わって間投詞を連発し、慎重に言葉を選ぶ。注目点は医大側の応答ではなく、メディアが「銃弾の行方」に大きな関心を持っていたことだ。報道機関として当然だろう。
翌7月9日の奈良県警による法医解剖の結果発表でも「銃弾の行方」は明かされなかった。通常であれば、報道機関側は疑問を呈し、追及するが、全社が揃ってスルーした。
凶弾の喪失という驚愕の事実が警察側から伝えられたのは、前述の治安・テロ対策調査会。開催は7月20日で、実に事件から2週間が過ぎようとしていた。
▽演説場所附近を調べる捜査員7月13日(読売)
事件発生から5日後となる7月13日、奈良県警は現場検証を行った。捜査員50人態勢の大掛かりな捜索である。演説場所で何を探していたのか、メディアは関心も疑問も持たなかったのか。
消えた弾丸は県立医大の医療廃棄物の中からも発見されなかった。そこで県警は救命措置の際に体外に出た可能性があると見て現場の再検証に踏み切ったのだ。法医解剖から既に4日が経過していた。
「事件には1回に6発の弾が発射される構造の手製の銃が使われたとみられ」(NHK)
7月29日オンエアのNHKニュースでは「みられ」という断定を避ける表現が多用されている。上記部分では、推定が「手製の銃」ではなく「6発」に掛かっている。
▽断定表現を避けるNHKの当該記事7月29日
体内から喪失した銃弾だけではない。警察当局は発射された銃弾の正確な数すら把握できて意なのだ。初期に報じられた「2回6発=計12発」は山上の供述に従っているに過ぎない。
「体に2発受けたとみられる」(NHK)
更に被弾数も確定していない…なぜ、歴史的な大事件であるにも拘らず、事実関係が曖昧なまま放置されているのか。理由は残念なほどにシンプルだ。
【捜査当局の完全黙秘を許す異常空間】
「重大に受け止めている。全容解明に捜査を尽くしたい」
紋切り型の事務的な答弁で、中身はなかった。テロ事件当日の夜9時過ぎから奈良県警本部が会見を開く。そして翌日、本部長の鬼塚友章が単独で会見に臨んだ。
これだけである。昭和5年の濱口首相狙撃事件以来とも言える政府要人のテロ事件に際し、奈良県警は僅か2回の緊急会見を開いただけで、公の場では沈黙を続けている。
▽会見で感想と意気込み語る本部長7月9日(産経)
これまでの常識を覆す異例の対応だ。小出しに報道される情報は、捜査本部や県警関係者のリークに基づくもので、発表や公式発言は極めて少ない。
事件の核心に迫る様々な疑惑・不審点に関して、保守系の識者・ジャーナリストが言及することも限られる。已むを得ない部分もあるだろう。何しろ、確定的な捜査情報が表に出てきていないのだ。
奈良県警が逃げの姿勢で、頰被りを続けている訳でもない。警察組織で他の官僚機構や役所と同じで、サービス精神とは無縁。強く要求されなければ会見を開かない。
今回のケースでは、メディア側が奈良県警・警察庁にプレッシャーを与えていないのだ。関心がない素振りではなく、実際に関心がなく、意図的に事件の核心から遠ざかっている。
7月8日夜以降、相変わらずネットニュースの巡回も限定的で、断言するのも気が引けるが、新聞・通信社で暗殺事件を担当する特捜班が設置されていないように見える。少なくとも記事上では確認できない。
▽現場で続く黙祷は殆ど報道されない7月14日(産経)
全国紙の場合は大阪社会部と東京社会部が連携。TV報道では在阪キー局と在京キー局の社会部記者に遊軍が取材班を構成し、そこに情報番組に異動した元警察担当記者も加わって大所帯になる。
腑に落ちないのは、社会部発の関連記事が極めて少ないことだ。朝鮮反日カルトと政治家の関係などは政治部マターである。報道各社の社会部記者は、この1ヵ月間、何の仕事をしていたのか。
非常に危うい状況である。凶悪殺人犯に寄り添う大半の“テロ支援”メディアが今後、正気を取り戻し、より多角的に科学的な観点から取材を進めるとは到底思えない。
山上の鑑定留置により、起訴は大幅に遅れ、年の瀬近くとなった。“テロ支援”メディアは、起訴のタイミングまで沈黙を続ける。核心部について風化させる気満々だ。
□「消えた銃弾」の続報を含む新たな動画
事件の全容解明を望むジャーナリスト有志は連帯し、警察当局に対して確定した事実の公表を求めるべきである。同時に、爆発物・銃器の専門家を含む民間の検証チーム発足も急がれる。
実行犯が放つ狂気を拡散する既存の報道機関に、僅かな期待さえ抱いてはいけない。我が国の歪んだメディアこそ、テロリストの生みの親なのだ。初めから共犯以上の関係が、そこにある。
〆
最後まで読んで頂き有り難うございます
クリック1つが敵に浴びせる銃弾1発となります
↓

【side story】
積み上げたままの書物(戦記、古代史が中心)を気晴らしに読んでいたら、早くも7月が終わった。短い文章すら書く気が起こらないという訳でもなく、事実関係の確定事項が余りにも少ないことが主な原因。記事用の写真を蒐集する作業は今も少し億劫かも。
それよりも、総理の悲劇から1ヵ月以内に中共が弾道ミサイルをEEZ内に乱れ撃ちするとは予想もしていなかった…
朝鮮カルトに関しては、過去に踏み込んだ記事をアップした記憶が。戯れに検索した所、個人名と書き込んだ自分の当該記事がやや上位にあって怯んだ。しかも断定口調。補足情報と別の視点を組み入れて新装版を書くかも。警備面の重大問題と「無反動手製銃の謎」は、どうにも言葉数が多くなりそうなので、分離することにしました。
参考記事:
□ZAKZAK7月25日『安倍元首相銃撃、消えた弾丸 致命傷を与えた銃弾がいまだ見つからないとの情報 自民・青山議員が告発「貫通なし、司法解剖でも未確認」』
□ZAKZAK7月29日『「消えた銃弾」NHKも報道、銃撃事件から「5日後の現場検証」を指摘』
□NHK7月29日『安倍元首相銃撃事件 被弾した銃弾1発見つからず』
□MBS7月29日『安倍元総理に2発の銃弾…その内の『1発が見つからず』司法解剖や現場でも発見できず』
「試しに体重を掛けてみたら、簡単にへし曲がってしまった」
元夕刊紙記者は、そう述懐した。札幌パークホテルに宿泊した際、バスルームのカーテンレールを握り、ぶら下がってみたのだという。同ホテルは中川一郎元農水相が亡くなった場所である。
昭和58年1月、中川元農水相は遺体で発見された。当初、死因は心筋梗塞と発表されたが、直ぐに自殺と改められた。北海道警はタオル台の留め具に浴衣の紐を掛け、縊死したと断定。事件性はないとした。
▽市内中心部にある札幌パークホテル(file)
留め具の位置は高さ1メートル。警察当局は過去に類例があり、不自然な点はないと強調したが、夕刊紙記者は納得しなかった。その為、カーテンレールが怪しいと見て、自ら実験した次第である。
遺書はなかった。それでも道警は詳しく検証せず、2日後、遺体は荼毘に付された。中川元農水相は前年秋の党総裁選で敗れ、憔悴した印象を周囲に与えてることもあったが、直接の動機は見当たらない。
▽親台湾を貫いた中川一郎元農水相(file)
謀殺説が浮上するのに時間は掛からなかった。死亡推定時刻の約30分前に電話で話した人物は、元農水相が室内の誰かに受け応えていたと証言。就寝中の夫人以外に、来訪者が居た可能性が高まった。
「噴き出した他殺説や骨肉の争い説からは、意識的に身を避けた。中川と一面織もない評論家が、たちまち『中川謀殺説』を上梓したのには、驚くというよりもあきれた」(『血の政治 青嵐会という物語』198頁)
元農水相と親しかった毎日新聞元常務取締役の河内孝氏は、そう振り返る。週刊誌等はロッキード事件絡みの疑惑や秘書だった鈴木宗男の裏切りについて書き飛ばし、追悼の言葉もなく故人を貶めた。
▽没後に複数発刊された書籍等の一部(amazon)
更にソ連KGBの内通者だったとの説が、国士・中川一郎を敬愛する人々に苦しみを与えた。青嵐会を率いた中川は反共の闘志であり、親中派が支配する自民党にあって保守陣営の希望の星だった。
状況は、やや似通っている。だが、謀殺説が飛び交った39年前のイエロージャーナリズムの方が「マトモだったのではないか」と感じる。
【「消えた銃弾」は30秒のヒマネタ扱い】
「貫通していないが、銃弾はなかった」
警察庁幹部は言葉少なに、そう明言したという。青山繁晴参院議員が7月22日にアップした動画は衝撃的だった。その2日前に開かれた自民党の治安・テロ対策調査会の内容を公にしたものである。
安倍総理を襲った2発の銃弾は、いずれも盲管銃創だった。貫通せずに体内に留まったのである。しかし、6時間に渡る法医解剖でも弾丸は発見されなかった。
「銃弾が見つからなかったとしても捜査に支障はない」
奈良県警本部は、そう開き直る。2発のうち、右鎖骨付近から入ったものは確保したが、致命傷となった左腕を貫いて大動脈を損傷させた弾丸が、何処かに行ってしまったと言うのだ。
▽動画をトレースした犯行時の模様(読売)
「銃器を用いた事件で、銃弾は重要な証拠となる」
警察OBから批判の声も上がる。捜査当局は公判維持に問題はないとするが、致命傷を与えた物証が消失したのだ。被告側弁護団がアクロバティックな論法で不備を突いて来る恐れがある。
右鎖骨付近と左上腕部という物理法則を捻じ曲げたような入射孔も理解が及ばないが、検証は正確な図解説明を待つ必要がある。銀行屋上のスナイパー説は伊藤博文翁のケースに類似し過ぎて逆に引く。
参照:H25年11月23日エントリ『2階のスナイパーと安重根…ロシアが消えた反日史観』
不可解なのは、メディアが「消えた銃弾」に関して殆ど無視していることだ。夕刊フジは最も早く7月25日に記事化したが、青山議員の動画をフォローしただけで、追加の独自取材はない。
4日後の7月29日にNHKが朝刊ニュースで伝えた。ウェブ記事には「関西」の表記がある。ローカル枠のみで、全国枠ではなかったのではないか。当日繰り返したオンエアしたという報告もない。
▽簡潔すぎるMBS(毎日放送)のニュース本記
NHKの報道を受け、関西のTV局が後追いした模様だ。しかし、毎日放送は文字数から想定すると30秒程度。完全なベタ記事、或いはヒマネタ扱いである。
奈良県警で今年1月に起きた“銃弾紛失事件”とは対照的だ。分配ミスだった銃弾5発の誤認が手厚く報じられる一方、戦後最悪の暗殺事件の物証喪失は軽く流される…
銃弾と共に、関連報道も消えたのだ。
【凶弾の総数も被弾数も未だ不明…】
「急に歯切れが悪くなっている」
8月3日に配信された文化人放送局の検証番組で、山岡鉄秀氏が重要な指摘をした。事件当夜の奈良県立医大会見で、銃弾について質問が及んだ際、担当の教授が言い澱んでいたのである。
「あの…弾丸の方は確認が出来ておりませんでした」
それまでとは打って変わって間投詞を連発し、慎重に言葉を選ぶ。注目点は医大側の応答ではなく、メディアが「銃弾の行方」に大きな関心を持っていたことだ。報道機関として当然だろう。
翌7月9日の奈良県警による法医解剖の結果発表でも「銃弾の行方」は明かされなかった。通常であれば、報道機関側は疑問を呈し、追及するが、全社が揃ってスルーした。
凶弾の喪失という驚愕の事実が警察側から伝えられたのは、前述の治安・テロ対策調査会。開催は7月20日で、実に事件から2週間が過ぎようとしていた。
▽演説場所附近を調べる捜査員7月13日(読売)
事件発生から5日後となる7月13日、奈良県警は現場検証を行った。捜査員50人態勢の大掛かりな捜索である。演説場所で何を探していたのか、メディアは関心も疑問も持たなかったのか。
消えた弾丸は県立医大の医療廃棄物の中からも発見されなかった。そこで県警は救命措置の際に体外に出た可能性があると見て現場の再検証に踏み切ったのだ。法医解剖から既に4日が経過していた。
「事件には1回に6発の弾が発射される構造の手製の銃が使われたとみられ」(NHK)
7月29日オンエアのNHKニュースでは「みられ」という断定を避ける表現が多用されている。上記部分では、推定が「手製の銃」ではなく「6発」に掛かっている。
▽断定表現を避けるNHKの当該記事7月29日
体内から喪失した銃弾だけではない。警察当局は発射された銃弾の正確な数すら把握できて意なのだ。初期に報じられた「2回6発=計12発」は山上の供述に従っているに過ぎない。
「体に2発受けたとみられる」(NHK)
更に被弾数も確定していない…なぜ、歴史的な大事件であるにも拘らず、事実関係が曖昧なまま放置されているのか。理由は残念なほどにシンプルだ。
【捜査当局の完全黙秘を許す異常空間】
「重大に受け止めている。全容解明に捜査を尽くしたい」
紋切り型の事務的な答弁で、中身はなかった。テロ事件当日の夜9時過ぎから奈良県警本部が会見を開く。そして翌日、本部長の鬼塚友章が単独で会見に臨んだ。
これだけである。昭和5年の濱口首相狙撃事件以来とも言える政府要人のテロ事件に際し、奈良県警は僅か2回の緊急会見を開いただけで、公の場では沈黙を続けている。
▽会見で感想と意気込み語る本部長7月9日(産経)
これまでの常識を覆す異例の対応だ。小出しに報道される情報は、捜査本部や県警関係者のリークに基づくもので、発表や公式発言は極めて少ない。
事件の核心に迫る様々な疑惑・不審点に関して、保守系の識者・ジャーナリストが言及することも限られる。已むを得ない部分もあるだろう。何しろ、確定的な捜査情報が表に出てきていないのだ。
奈良県警が逃げの姿勢で、頰被りを続けている訳でもない。警察組織で他の官僚機構や役所と同じで、サービス精神とは無縁。強く要求されなければ会見を開かない。
今回のケースでは、メディア側が奈良県警・警察庁にプレッシャーを与えていないのだ。関心がない素振りではなく、実際に関心がなく、意図的に事件の核心から遠ざかっている。
7月8日夜以降、相変わらずネットニュースの巡回も限定的で、断言するのも気が引けるが、新聞・通信社で暗殺事件を担当する特捜班が設置されていないように見える。少なくとも記事上では確認できない。
▽現場で続く黙祷は殆ど報道されない7月14日(産経)
全国紙の場合は大阪社会部と東京社会部が連携。TV報道では在阪キー局と在京キー局の社会部記者に遊軍が取材班を構成し、そこに情報番組に異動した元警察担当記者も加わって大所帯になる。
腑に落ちないのは、社会部発の関連記事が極めて少ないことだ。朝鮮反日カルトと政治家の関係などは政治部マターである。報道各社の社会部記者は、この1ヵ月間、何の仕事をしていたのか。
非常に危うい状況である。凶悪殺人犯に寄り添う大半の“テロ支援”メディアが今後、正気を取り戻し、より多角的に科学的な観点から取材を進めるとは到底思えない。
山上の鑑定留置により、起訴は大幅に遅れ、年の瀬近くとなった。“テロ支援”メディアは、起訴のタイミングまで沈黙を続ける。核心部について風化させる気満々だ。
□「消えた銃弾」の続報を含む新たな動画
事件の全容解明を望むジャーナリスト有志は連帯し、警察当局に対して確定した事実の公表を求めるべきである。同時に、爆発物・銃器の専門家を含む民間の検証チーム発足も急がれる。
実行犯が放つ狂気を拡散する既存の報道機関に、僅かな期待さえ抱いてはいけない。我が国の歪んだメディアこそ、テロリストの生みの親なのだ。初めから共犯以上の関係が、そこにある。
〆
最後まで読んで頂き有り難うございます
クリック1つが敵に浴びせる銃弾1発となります
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【side story】
積み上げたままの書物(戦記、古代史が中心)を気晴らしに読んでいたら、早くも7月が終わった。短い文章すら書く気が起こらないという訳でもなく、事実関係の確定事項が余りにも少ないことが主な原因。記事用の写真を蒐集する作業は今も少し億劫かも。
それよりも、総理の悲劇から1ヵ月以内に中共が弾道ミサイルをEEZ内に乱れ撃ちするとは予想もしていなかった…
朝鮮カルトに関しては、過去に踏み込んだ記事をアップした記憶が。戯れに検索した所、個人名と書き込んだ自分の当該記事がやや上位にあって怯んだ。しかも断定口調。補足情報と別の視点を組み入れて新装版を書くかも。警備面の重大問題と「無反動手製銃の謎」は、どうにも言葉数が多くなりそうなので、分離することにしました。
参考記事:
□ZAKZAK7月25日『安倍元首相銃撃、消えた弾丸 致命傷を与えた銃弾がいまだ見つからないとの情報 自民・青山議員が告発「貫通なし、司法解剖でも未確認」』
□ZAKZAK7月29日『「消えた銃弾」NHKも報道、銃撃事件から「5日後の現場検証」を指摘』
□NHK7月29日『安倍元首相銃撃事件 被弾した銃弾1発見つからず』
□MBS7月29日『安倍元総理に2発の銃弾…その内の『1発が見つからず』司法解剖や現場でも発見できず』
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