茜さす九段の杜に花束を…安倍総理にさよならは言えない
惜別の言葉は思いつかなった。追憶の洪水を制御できないままに迎えた国葬の日。仰ぎ見ると、遺影の総理は馬上の大元帥を従えていた。《ウェブリ版ブログの最終エントリー》
夏が帰って来たかのような9月末の午後だった。JR四ツ谷駅に着くと、構内に大きな花束を抱えたスーツ姿の男性が目に入った。その背中を追って歩く。
当初、地下鉄半蔵門駅を目指していたが、移動中に内閣府のツイートで最寄駅が変更になったと知る。一般献花の行列は更に伸び、最後尾は四ツ谷駅付近だというのだ。
花束男に従って駅頭に出て驚いた。最後尾が四ツ谷駅近くに達しているのではなく、駅を越えて北側に伸びている。目的地とは逆の方向に暫く歩いて列の最後に辿り着いた。
▽JR四ツ谷駅周辺(撮影筆者)

ここから九段下までは相当な距離があるはずだ。しかも、情報によると行列は南の麹町や半蔵門付近を迂回するコースで延々と続いているという。締め切り時刻に間に合うのか…
ちょうどその日は夜に市ヶ谷方面に行くスケジュールだった。献花台のある場所から数ブロックしか離れていない。早目に行って、少し足を伸ばす感覚で赴いたのが、現実は想像と余りにも掛け離れていた。
嬉しかった。献花する人が疎で行列が数百人レベルだったなら、哀しい思いをしたことだろう。長蛇の列は寧ろ歓迎だ。並び始めた時刻は、午後2時過ぎだったと記憶する。
▽通りの反対側にも長い行列があった

ゆっくり、小刻むに前進して四ツ谷駅を過ぎると、新宿通りの反対側にも行列があることに気付いた。半蔵門駅で降車した人々の列だ。ふたつの行列は一定間隔で合流し、千鳥ヶ淵方面に向かう。
「長い行列って報道されておしまいかもね」
前方の誰かが言った。何万人が参加したのか、政府が発表してもニュースが報じると限らないという。皆さん、メディアの性質を良くご存知でいらっしゃる。
「例えニュースで隠されても、自分の眼でこれだけの人が集まったことを見た。それだけでも来た価値がある」
誰かが返した。
【誰もが癒されぬ日々を送っていた】
3時間待ちの行列と聞いたら誰しもゾッとするだろう。ふつうは苦行以外の何ものでもない。「黙々」「粛々」といった葬列の形容が相応しい。その表現は、的確とも不的確とも言える。
徐行中、行列の前後の人々とトークで盛り上がった。それぞれ単身で来た見知らぬ者同士であっても、全員が安倍総理の熱心な支持者だ。会話が弾まない訳がない。
“安倍総理オンリー同人イベント”といった趣きで、堰を切ったように熱く語る者ばかりだった。皆、7月8日以降、どこか孤独で決して癒やされることのない日々を送っていた。
▽弔旗を掲げたビルもあった

「身内を亡くした時よりも辛かった」
女性はそう語った。近親者の葬儀は辛く、悲しい出来事ではあるが、お悔やみの言葉を貰い、励まされる。弔問客は遺族を労わり、故人を偲び、生前の人柄を讃える。
ところが、安倍総理の場合は違った。故人を罵り、遺族や支持者を中傷する言葉が、公共の電波から聞こえて来る。癒し要素は何処にもなく、痛みと苦しみが強まる中、今日に至ったという。
「日本って、こんな国だったのかね」
別の失望感も入り混じる。特別版の月刊誌も全て買った、報道系ネット番組で心に沁みる良識派の意見も聞いた。それでも「国葬反対派が大勢」などというニュースに接し、押し潰されそうになる…
けれども今日、少し無理をして来て良かったと話す。平日にも拘らず、これだけ大勢の人達が花束を携え、集まっている。先の見えない行列にも誰独り不平を漏らさない。
▽車道を進む行列、整理の警察官は居ない

これが日本人だ。これが真実だ。何のフィルターも介さず、我が眼で見た光景を信じよう。
【平成・令和の偉人、大元帥と並び立つ】
「この列はどうなっているんでしょうか」
花束を手にした高齢の女性が整理係の警察官に訊ねていた。半蔵門駅の周辺だった。返答は聞き取れなかったが、その女性は困惑した表情を見せていた。最後尾は遥か遠く、諦めるしかない。
数人前に居た男性も時間的に限界に達し、花束を近くの人に託して去っていった。現地入りしながら断念した人や、タイムアップで離脱せざるを得なかった人も多かったろう。
行列のコースに関する公式発表はなく、詳しく紹介するメディアもない。小さな通りに入ってUターンしたり、千鳥ヶ淵沿いの内堀通りを往復するといったギミックも用意されていた。
▽内堀通りを逆方向に南下中

武道館で催されている国葬儀は、もう終わったのだろうか。途上の料理店で生中継の映像を見掛けてから結構な時間が経つ。恙無く進行していれば、それで良い。
気付くと、辺りの空気は涼しさを孕んでいた。千鳥ヶ淵の樹々は未だ蒼く、あの忌まわしい夏が続いているかのようだ。掘りの向こう側を見渡すと、タマネギが見えた。
▽持ち物検査所が迫ってきた

持ち物検査所を経て、献花台を覆うテントが視界に入った。賑やかに話していた周囲も俄に厳粛な雰囲気に変わる。地元で購入した白い花が、乾いているように見えるのが少し気掛かりだ。
そして、合掌。遺影を直視する勇気は持ちわせていない。ブーケを手向けた瞬間に何を思ったか、覚えていない。数秒間で集約できるような思い出、追憶の量ではない。
献花台を背にすると、靖国神社の大木が目に飛び込んできた。献花を終えた人々の多くが、その足で境内に入って行く。決して報道されることはないが、ごく自然な流れだろう。
近ごろ涙もろくなったとは言え、献花台近くで目を潤ませることはなかった。嗚咽しかけたのは当夜、撮影した何枚もの写真をチェックした時だった。
▽献花を終えて撮影、時刻は午後5時30分過ぎ

遺影の上、皇居方面の空に茜雲がたなびく。後光のような黄色の筋が朱の中に走り、美しいグラディーションを創り出している。3時間半ほど並んだことで夕焼けとタイミングが重なったのだ。
そして、テントの左側には期せずして銅像が写り込んでいた。軍馬に乗る御方は、日清・日露戦争の英雄たる明治の偉人、大山巌元帥閣下。安倍総理に並び立ち、威風堂々守護しているかのように見える。
▽大山巌元帥閣下の馬上像:拡大

大元帥閣下の乗馬像は参道の脇に在って、聖域を訪れる者を見守る。主催者の粋な計らいか、偶然か…遺影の視線の先には同様に、靖国神社の大鳥居があったのだ。
先々、8月15日や参賀後に詣でた際、この日見た光景を繰り返し思い出すことになるに違いない。
〆
最後まで読んで頂き有り難うございます
クリック1つが敵に浴びせる銃弾1発となります
↓

献花の行列でも話題になった西村幸祐さんの新刊です。
「安倍氏の非業の死は、今日の日本を映す鏡でもある。迷宮としての鏡の中に、日本と世界が直面する問題を解く鍵がある。身を以て自らの生命で日本の矛盾を剔抉した世界的指導者に迫る」(FB紹介文より)
【お知らせ】
政治評論に大団円はなく、幕切れは常にあっけない。これが16年に渡る「東アジア黙示録(ウェブリブログ版)」の最終エントリになります。
永きのご愛顧まことに有難うございました。ウェブリブログにある全ての記事は来年1月のサービス終了と同時に消滅します。
一方、この程、Seesaaブログへの全過去記事コピーが完了し、おととい頃から閲覧できる状態になりました。
一部のサムネイル表示が芳しくないようだけど、記事内容は完コピのはずで、移行と同時に消失すると思われたコメントも健在です。掲載後に元サイトから消えた動画に関しては、「存在しない」表記が出ずに単なる「空白」になり、当該記事では「黒塗り」風に変わっていますが不具合ではなく、仕様です。YouTubeの古い国会関連動画は悉く消えている…
Seesaa版の新規投稿は今の所未定としておきます。どうやら長くブログを継続する秘訣は、宣言をせず、曖昧にしておくことのようだ。思えば第1次安倍政権が瓦解した後、MP(メンタル・ポイント)が回復せず、多忙も重なって何も告げずに放置したけど、中共に腹立って突然復活した記憶が。勝手にシーズン制を設定し、海外長期滞在の空白期間を挟んで、現在の4期に至る感じです。
Seesaa版の新規エントリは5th seasonに相当するけど、今回ばかりはMP全回復の目処が立たない。使用する言葉がどうしてもネガティブで荒っぽくなり、批評や分析とはかけ離れて全方位に毒づく状態。今はポエム風でごまかすのが精一杯です。
夏が帰って来たかのような9月末の午後だった。JR四ツ谷駅に着くと、構内に大きな花束を抱えたスーツ姿の男性が目に入った。その背中を追って歩く。
当初、地下鉄半蔵門駅を目指していたが、移動中に内閣府のツイートで最寄駅が変更になったと知る。一般献花の行列は更に伸び、最後尾は四ツ谷駅付近だというのだ。
花束男に従って駅頭に出て驚いた。最後尾が四ツ谷駅近くに達しているのではなく、駅を越えて北側に伸びている。目的地とは逆の方向に暫く歩いて列の最後に辿り着いた。
▽JR四ツ谷駅周辺(撮影筆者)

ここから九段下までは相当な距離があるはずだ。しかも、情報によると行列は南の麹町や半蔵門付近を迂回するコースで延々と続いているという。締め切り時刻に間に合うのか…
ちょうどその日は夜に市ヶ谷方面に行くスケジュールだった。献花台のある場所から数ブロックしか離れていない。早目に行って、少し足を伸ばす感覚で赴いたのが、現実は想像と余りにも掛け離れていた。
嬉しかった。献花する人が疎で行列が数百人レベルだったなら、哀しい思いをしたことだろう。長蛇の列は寧ろ歓迎だ。並び始めた時刻は、午後2時過ぎだったと記憶する。
▽通りの反対側にも長い行列があった

ゆっくり、小刻むに前進して四ツ谷駅を過ぎると、新宿通りの反対側にも行列があることに気付いた。半蔵門駅で降車した人々の列だ。ふたつの行列は一定間隔で合流し、千鳥ヶ淵方面に向かう。
「長い行列って報道されておしまいかもね」
前方の誰かが言った。何万人が参加したのか、政府が発表してもニュースが報じると限らないという。皆さん、メディアの性質を良くご存知でいらっしゃる。
「例えニュースで隠されても、自分の眼でこれだけの人が集まったことを見た。それだけでも来た価値がある」
誰かが返した。
【誰もが癒されぬ日々を送っていた】
3時間待ちの行列と聞いたら誰しもゾッとするだろう。ふつうは苦行以外の何ものでもない。「黙々」「粛々」といった葬列の形容が相応しい。その表現は、的確とも不的確とも言える。
徐行中、行列の前後の人々とトークで盛り上がった。それぞれ単身で来た見知らぬ者同士であっても、全員が安倍総理の熱心な支持者だ。会話が弾まない訳がない。
“安倍総理オンリー同人イベント”といった趣きで、堰を切ったように熱く語る者ばかりだった。皆、7月8日以降、どこか孤独で決して癒やされることのない日々を送っていた。
▽弔旗を掲げたビルもあった

「身内を亡くした時よりも辛かった」
女性はそう語った。近親者の葬儀は辛く、悲しい出来事ではあるが、お悔やみの言葉を貰い、励まされる。弔問客は遺族を労わり、故人を偲び、生前の人柄を讃える。
ところが、安倍総理の場合は違った。故人を罵り、遺族や支持者を中傷する言葉が、公共の電波から聞こえて来る。癒し要素は何処にもなく、痛みと苦しみが強まる中、今日に至ったという。
「日本って、こんな国だったのかね」
別の失望感も入り混じる。特別版の月刊誌も全て買った、報道系ネット番組で心に沁みる良識派の意見も聞いた。それでも「国葬反対派が大勢」などというニュースに接し、押し潰されそうになる…
けれども今日、少し無理をして来て良かったと話す。平日にも拘らず、これだけ大勢の人達が花束を携え、集まっている。先の見えない行列にも誰独り不平を漏らさない。
▽車道を進む行列、整理の警察官は居ない

これが日本人だ。これが真実だ。何のフィルターも介さず、我が眼で見た光景を信じよう。
【平成・令和の偉人、大元帥と並び立つ】
「この列はどうなっているんでしょうか」
花束を手にした高齢の女性が整理係の警察官に訊ねていた。半蔵門駅の周辺だった。返答は聞き取れなかったが、その女性は困惑した表情を見せていた。最後尾は遥か遠く、諦めるしかない。
数人前に居た男性も時間的に限界に達し、花束を近くの人に託して去っていった。現地入りしながら断念した人や、タイムアップで離脱せざるを得なかった人も多かったろう。
行列のコースに関する公式発表はなく、詳しく紹介するメディアもない。小さな通りに入ってUターンしたり、千鳥ヶ淵沿いの内堀通りを往復するといったギミックも用意されていた。
▽内堀通りを逆方向に南下中

武道館で催されている国葬儀は、もう終わったのだろうか。途上の料理店で生中継の映像を見掛けてから結構な時間が経つ。恙無く進行していれば、それで良い。
気付くと、辺りの空気は涼しさを孕んでいた。千鳥ヶ淵の樹々は未だ蒼く、あの忌まわしい夏が続いているかのようだ。掘りの向こう側を見渡すと、タマネギが見えた。
▽持ち物検査所が迫ってきた

持ち物検査所を経て、献花台を覆うテントが視界に入った。賑やかに話していた周囲も俄に厳粛な雰囲気に変わる。地元で購入した白い花が、乾いているように見えるのが少し気掛かりだ。
そして、合掌。遺影を直視する勇気は持ちわせていない。ブーケを手向けた瞬間に何を思ったか、覚えていない。数秒間で集約できるような思い出、追憶の量ではない。
献花台を背にすると、靖国神社の大木が目に飛び込んできた。献花を終えた人々の多くが、その足で境内に入って行く。決して報道されることはないが、ごく自然な流れだろう。
近ごろ涙もろくなったとは言え、献花台近くで目を潤ませることはなかった。嗚咽しかけたのは当夜、撮影した何枚もの写真をチェックした時だった。
▽献花を終えて撮影、時刻は午後5時30分過ぎ

遺影の上、皇居方面の空に茜雲がたなびく。後光のような黄色の筋が朱の中に走り、美しいグラディーションを創り出している。3時間半ほど並んだことで夕焼けとタイミングが重なったのだ。
そして、テントの左側には期せずして銅像が写り込んでいた。軍馬に乗る御方は、日清・日露戦争の英雄たる明治の偉人、大山巌元帥閣下。安倍総理に並び立ち、威風堂々守護しているかのように見える。
▽大山巌元帥閣下の馬上像:拡大

大元帥閣下の乗馬像は参道の脇に在って、聖域を訪れる者を見守る。主催者の粋な計らいか、偶然か…遺影の視線の先には同様に、靖国神社の大鳥居があったのだ。
先々、8月15日や参賀後に詣でた際、この日見た光景を繰り返し思い出すことになるに違いない。
〆
最後まで読んで頂き有り難うございます
クリック1つが敵に浴びせる銃弾1発となります
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献花の行列でも話題になった西村幸祐さんの新刊です。
「安倍氏の非業の死は、今日の日本を映す鏡でもある。迷宮としての鏡の中に、日本と世界が直面する問題を解く鍵がある。身を以て自らの生命で日本の矛盾を剔抉した世界的指導者に迫る」(FB紹介文より)
【お知らせ】
政治評論に大団円はなく、幕切れは常にあっけない。これが16年に渡る「東アジア黙示録(ウェブリブログ版)」の最終エントリになります。
永きのご愛顧まことに有難うございました。ウェブリブログにある全ての記事は来年1月のサービス終了と同時に消滅します。
一方、この程、Seesaaブログへの全過去記事コピーが完了し、おととい頃から閲覧できる状態になりました。
一部のサムネイル表示が芳しくないようだけど、記事内容は完コピのはずで、移行と同時に消失すると思われたコメントも健在です。掲載後に元サイトから消えた動画に関しては、「存在しない」表記が出ずに単なる「空白」になり、当該記事では「黒塗り」風に変わっていますが不具合ではなく、仕様です。YouTubeの古い国会関連動画は悉く消えている…
Seesaa版の新規投稿は今の所未定としておきます。どうやら長くブログを継続する秘訣は、宣言をせず、曖昧にしておくことのようだ。思えば第1次安倍政権が瓦解した後、MP(メンタル・ポイント)が回復せず、多忙も重なって何も告げずに放置したけど、中共に腹立って突然復活した記憶が。勝手にシーズン制を設定し、海外長期滞在の空白期間を挟んで、現在の4期に至る感じです。
Seesaa版の新規エントリは5th seasonに相当するけど、今回ばかりはMP全回復の目処が立たない。使用する言葉がどうしてもネガティブで荒っぽくなり、批評や分析とはかけ離れて全方位に毒づく状態。今はポエム風でごまかすのが精一杯です。
この記事へのコメント
知らなかった…
ウェブリブログの自分のサイトに辿り着けない。既に全記事が置き換えられ、古いURLから新しいものに自動転送される仕組みか。もう旧版はウェブ上に存在していなのかも。サ終まで残ると思っていたけど。
寂しいですね。本当に寂しい。